心優しい勇者たちへ

 

 

 


「今ここ」に自分を合わせ


「素直な心」にチューニングする


森山華伊です。

 

 

 

 

 
 


私はメルマガやブログを

カフェの中で書くことが

習慣になっています。

今朝もこれを行きつけのカフェで

書いています。



何を書き始めようかと、

炎天下の窓の外をぼんやり眺めていると、

一人の痩せ細った白髪のお婆さんが

身体を傾けた姿勢で、

杖をつきながら

足の半分くらいの歩幅で

摺り足で歩いているのが

目に留まりました。



ふと視線を店内に戻すと、

向かいのテーブルに

席を取ったばかりの

60半ばとおぼしき婦人が、

私が見ていたお婆さんを

じーっと見ています。

婦人は、視界から見えなくなるまで

お婆さんを見届けると

我に返ったのか

注文をしにレジの方へ行きました。



私はその一部始終(と言っても、

時間にしたら数分間のことですが)

を見て感じたのは…



人は自分が気にしていることや

身近なことに対して

焦点を合わせるものなのだ

ということです。



私で言えば…

そのお婆さんを、

認知症で施設に入居している母と重ねて

見ていました。

「ちゃんと家に帰れるだろうか」

と案じたり

「子供や家族は

どうしているのだろう」と

思いを馳せたりするのです。



婦人で言えば、

そのお婆さんを、私と同じく

自分のお母さんと

重ねていたかもしれません。

または、

お婆さんを通して自分の未来を

イメージしていたのかもしれませんし、

ただ単に「大丈夫かしら」と

心配していただけかもしれません。



ここは、日曜日のショッピングモール、

朝とは言え、

頻繁に人が行き来するような場所です。



そんな中、私と婦人は、

一人のお婆さんに

しばし気を取られていました。

他にも見える世界はあるはずなのに、

そこは視界に入らず

自分の関心ごとに

目を向けていたわけです。



逆に言えば…

自分とは切り離していること、

繋がりを感じないものには

意識が向かないということなのでしょう。



そうだとしたら、

自分は何に注目しがちなのか、

どういうところが気になるのか、

といったことについて

掘り下げていくと…



自分の取り組むべきテーマや、

それを気にするようになった

キッカケのルーツや、

自分の成長への足掛かりや、

見ないようにしてきた心の傷や、

自分という魂が

何を感じたがっているのか、

何を大切にしたいのかなどが

見えてくるかもしれません。



自分が気にしていることは、

気分がいいことモヤっとすること

どちらかに関係なく

色々なヒントを

提示してくれているのだと思います。



一方、自分が気にならないことは、

今の自分の向き合うテーマではない、

自分の役目ではないということ。

そんなふうに、

メリハリをつけてとらえてみると

今の自分の乗り越えるべき

課題が整理されて、

何か糸口になるような引っ掛かりに

気付くかもしれません。
 
 
 
 
 

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「今ここ」に意識を合わせて、


落ち着きを取り戻す。

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いつもありがとうございます。



森山 華伊


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