ウチのお父さんがよく見ているYouTubeの人が、
息子に”風太郎”と付けようとしたけど、奥さんに拒否された、と
(わかる気がする、プータローみたいだもんね 自由な感じがして私は嫌いじゃないけど)
ちゃんと(多分、親の期待を込めたような名前、っていうことかな)付けるよりいいと思うんだけどな、と
ニュースで、事件の容疑者の名前に、聖人君子的な漢字が使われていたりすると
「ん~~」と思う
親はどんな気持ちでその名前をつけたんだろう?
でも、こうなった原因の何某かは親にあったかもしれない・・・
などと、いつも思う
子どもの名前について
以前ブログに書いたことがあった気がする、と思って検索
木皿泉脚本
「昨夜のカレー、明日のパン」
の時でした
タカラ、という名前について
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「きっとご両親の宝物だったんだろうね」
「そういうの、ちょっと重荷でした」
「そっか、そうだよね。でも、重いの背負わないと、生きてる甲斐っていうのを味わえないんだよね。かといって、押しつぶされちゃう位重いの背負うと元も子もないんだけどね。」
「私みたいなものも、何か背負えるんでしょうか?」
「まずは背負ってみる。だめだったら、すぐおろしちゃえ。俺はそうやって生きて来た。」
「おろしていいんだ。」
「だって、自分の荷物でしょ?おろしていいんだ。」
自分の荷物だから、おろしていい!
そっか
ちょっと、目から鱗
よーく考えると、
なかなかおろせない荷物もありそう
だけど、それをおろすかどうかは自分の選択
おろせない、おろせない、と受け身になるより
おろさない、という選択を自分でしたんだ、と思えば
もう少し頑張れるかもしれない
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この時は
名前のつけ方というより、
”重いの背負わないと、生きてる甲斐っていうのを味わえないんだよ”
というのと
”自分の荷物だから、おろしていい”
ということに感動したのかな
こういうことがあると
ブログを始めて良かった、
と思います
ブログがなかったら
ほぼ思い出せなかった感動という気がします