雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ) | 櫂(kai)の知ること綴り帳

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私がやっている事業や趣味について綴っています。
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こんばんは。

1時間以上の空き時間ができたときにはドライブをするか、散歩をするか、ラジオ配信で歌っている櫂(kai)です。

 

私の自宅のカレンダーは「一粒万倍日」や「天赦日」などがわかるように絵で書いてあるカレンダーです。

そのカレンダーに書いてあった一言。

「雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)」

 

意味としては

「雨垂れのような小さな滴でも、長い時間をかけて落ち続けると岩にも穴があく。小さなことでも根気よく努力すれば、ついには成功に通じることをいう。」

だそうです。

「良い言葉だなー。」と思いながら読んでいました。

 

以前、私の記事で

「努力を実らせるには方向性が必要だ。」ということは書かせていただきましたが

やはりそこにも「継続」というのはものすごく大事で

飽きてしまうような同じことを繰り返すことが出来なければ

何も身に付くことはありません。

 

雨粒も少しずつ少しずつ岩に落ちてその岩に穴をあけていく。

海や川だってその波や流れによって徐々に徐々に石を削り土を削り、地形を変えていく。

 

自然の摂理というものなのでしょうが

私たち人間も決して特別なものではなく、この地球上に存在する物体の一部であり

その歩みも不思議と自然の摂理に従った歩み、流れになっていくような気がしています。

 

今日、実はとある神社に足を運びました。

古くからある神社で、道の脇には私の両腕なんかでは遥かに抱え込めない木がそこかしこと並んでいて

石段を見れば積み重なった苔が緑鮮やかに広がっている。

流れる空気は常に身と心を浄化してくれているような心地良さで

本当に素敵な社に足を運べたなと感じています。

 

そんな中、帰宅した後に目にした「雨垂れ石を穿つ」。

直感というかなんというか、普段目にしてもおかしくない場所に書かれている文章を

なぜか今日に限って目にする。

これも今の私に必要な「金言」を伝えてくださっているのかなと

そんなことを思わざるを得ない出来事のように感じてしまうわけです。

 

考えるだけでは何も成し得ませんので

とにかく日々、雨粒のような小さな一滴でも励み続けること。

私が何十年もの間、時間と精神と体力をめいっぱいに使って、失敗を繰り返して得た「努力の方向性」を

留めることなく「継続」していくこと。

改めてこれに尽きるなと、感じる1日となりました。

 

皆さんはどんな「方向性」を導き出し

どんな滴を岩に落とし続けますか?

気が遠くなってしまうような日もあるとは思いますが

それでも進み続けるんですよね。

 

あ、そうだ。

せっかく神社の話をしましたので、神社で使える知識を1つご紹介。

 

神社の入り口には手を洗うための「手水舎(ちょうずしゃ)」という場所があります。

ここでは手を洗うための正しい順序というものがあるのですが

それについてここに書いておきたいと思います。ご参考までに。

 

柄杓を右手で持って水をいっぱいにすくう

その水で左手を流す

柄杓を左手に持ち替えて右手を流す

柄杓を右手に持ち替えて左手で水を受ける

その受けた水を口に含みすすぐ(すすぐ際、口元が見えないように左手で隠す)

再び左手を流す

柄杓を立てて、残りの水で柄を流す

元の位置に戻す

 

これが正しい順序となりますが、1つ注意点で

この一連の動作は「1度すくった水のみ」で行います。

2度も3度もすくわないようにしましょう。

ちょっとした使える知識でした。

 

以上、今日は「雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)」という素敵な言葉と

神社で使える知識を1つご紹介しました。

この記事がご参考になる方がいらっしゃれば誉れです。

それでは、また次の記事でお会いしましょう。