こんにちは。
今まで麦茶ばかり飲んでいましたが、今年からルイボスティーに変えた櫂(kai)です。
事業をやっていようがいなかろうが
人生には苦しい時と楽しい時が必ずあるもので
入れ替わり立ち代わりに上がったり下がったりを繰り返すものです。
その上下は大小様々で
嫌になるほど谷底まで落ちる時もあれば
逆に浮かれてしまうほど山に登れる時だってあります。
できればずっと山頂にいるような生活ができれば良いのですが
山は登ったら下りなければならないもので…
皆さんもそんな思いを繰り返しながら人生を歩んでいらっしゃるのではないでしょうか。
私も皆さんと一緒です。
長い谷底を味わったり浮かれ気分な山頂を味わったりと
目まぐるしく変化にとんだ人生を歩んでいる気がします。
誰しもが望むことだとは思うのですが
できることならば谷底は浅く、這い上がりやすいほうが良いでしょうし
山頂から下るのは短い距離で、またすぐに登りに転じられるような人生のほうが
それはそれに越したことはないですよね。
人は強くはありません、弱い生き物です。
谷底の時にはどうしても慌ててしまったり
山頂の時にはどうしても浮かれてしまったり
そんなことが1度や2度、皆さんにもご経験があるのではないでしょうか。
気持ちはなかなか簡単には抑えられないもので
わかっていながらもそうなってしまうことは珍しくないお話で
だからこそタイトルに書いた通り
「苦しい時ほど淡々と、楽しい時ほど粛々と。」
進めていかなければならないんですよね。
淡々と、とは
・こだわりがない
・冷静な判断ができる
・物静か
・関心がない
・無駄に
・予定通りに
・薄い
粛々と、とは
・つつしむさま
・静かにひっそりしたさま
・引き締まったさま
・おごそかなさま
こういった意味です。
苦しい時には、とにかく
・周りに関心を持たずに
・こだわりを捨てて
・何事も予定通りに
・物静かに冷静な判断をする。
楽しい時には、とにかく
・騒ぐことなく静かにひっそりと
・心の在りようを引き締めて
・つつしんで物事を動かしていく
まとめるとこのように行動すべきだということになります。
簡単じゃないですよね、だって私たちは人間ですから。
感情の動きも欲求も湧き上がってくる動物なのですから。
でも、これらを実行しないと谷底もどんどん深くなってしまいますし
山頂もどんどん遠のいていくわけです。
仏教の教えの1つに
「現生は修行のために作られた世界だ。」
という考え方があります。
この苦しい現生を生き抜いていき、徳を積んで浄土へと戻っていく。
修行することで徳を積み煩悩やけがれを祓っていくというわけですね。
日本は自由宗教の国ですから
仏教の考え方がすべてではないとは思いますが
「苦しい時ほど淡々と、楽しい時ほど粛々と。」
これも一つの徳を積むための行動なのかもしれませんね。
私たちは常に人間関係やお金のことや生活の事や将来のことで頭を悩ませます。
悩んでいない時間なんてほんの些細なもので
人生のほとんどが悩みに包まれていると言っても過言ではないほど
いつも何かしらの悩みを抱えているものです。
慌てたり浮足立ったりしないほうが良いのは百も承知ですが
どうしてもそうなってしまうこともあり、本当に簡単なことではありません。
だからこそ何度も何度も自分に言い聞かせましょう。
「苦しい時ほど淡々と、楽しい時ほど粛々と。」
谷に落ちてしまった時にも、どんなに苦しい状況でも淡々とやり続けること。
私たちはそうやって次なる山へ次なる山へ
できることならば少しでも標高が高い次の山に登れるよう
そして登った暁には粛々と物事を動かせるよう
心と頭の鍛錬、修行を常日頃からしていかなくてはなりませんね。
事業主の皆さんに至っては特に上下が激しい世界にいらっしゃるでしょうから
(私も然りですが。)
この鍛錬、修行もかなりきついものがあるかとは思いますが
お互いに目標とする山頂を目指してぜひ進んでいきましょう。
では今日も
「淡々と、粛々と。」
集中しておごそかに。
今日は苦しい時ほど淡々と、楽しい時ほど粛々とについて書かせていただきました。
ご参考になる方がいらっしゃれば誉れです。
それでは、また次の記事でお会いしましょう。