この『嵐が丘』を読んだのは小学校5年生か6年生の時。

私は父の仕事でイギリスに住んでいました。


多分父が「イギリスの文学作品だから」という理由で私のために買い、日本からの荷物に入れていたもの。


金の星社という子どもの本専門の出版社のものでした。 

(いやー、これは子ども向けの本じゃないけどね!)


うろ覚えですが、確か私が『嵐が丘』読んだよ面白いよと父に話した結果、作者エミリ・ブロンテの住んでいた(そしてこの作品の舞台でもある)ハワーズに家族で訪れることに。


荒涼としたヒースに覆われた大地、ブロンテ姉妹(シャーロット、エミリ、アン)の描かれた絵のことを覚えています。






ブロンテ姉妹の絵が、思ってたのと違うなーって子ども心に感じたんですよね…肖像画ってなんかもっと美術館に飾られてる威厳ある本物の人物と見紛うばかりの油絵!のイメージだったんですけど、ここにあったブロンテ姉妹の絵は


こんな感じ。

左からアン、エミリ、シャーロット。

彼女たちの兄弟ブランウェルが描いたものです。


兄弟が描いたからきっと美化してなくて似てるんだろうな…っていう子どもの私の感想。


後々知ったのですが、ブランウェルは美貌の持ち主であり、多才…多才というか色んなことに中途半端に手を出してどれもうまく行かないタイプ。

絵画もちょこっと手を出して、なんとなーく上手いけど極めるまで行かない。


納得。


長男ブランウェルのためにかなりな負担を負っていたシャーロット、エミリ、アン。

ブランウェルを溺愛し、姉妹たちの負担をきっと当然と感じていたであろう父親。


(この強烈な家父長制からの解放を心に秘めながら独立心強い女性を描こうとしたのが、長姉シャーロットだったのかな)


ハワーズという田舎で、家族に縛られた形で(一時留学はしたものの)短い一生を終えたエミリの描く『嵐が丘』はものすごい作品です。




子どもの頃読んだのは左の大和さんの翻訳。ヨークシャー訛りを苦労して表現している感じが私は好きです。


右の田中さんの翻訳もとても読みやすくて好きです。しかし巻末の解説が最近snsで物議をよんでました。 


ざっくりいうと「結婚したことがない老嬢にこのような物語が書けるとは驚きである」みたいなことが書いてあるんです。


まあ、現代的にはダメな表現ですよね(^◇^;)


でも、なんていうかニュアンスはわかるんです。

エミリが誰かととんでもなく情念的な恋愛をしたという事実が無いことを驚く気持ち。

誰にも知られていないだけかも知れないけど…。


登場人物キャサリン・アンショーの、まさに嵐のような性質と、荒れた大地にしがみつくように咲くヒースのような情念。


「私はヒースクリフです!」


と言い切る彼女の内面に似たものを、エミリが持っていたというのは、やはり驚きかも知れません。想像力だけで書けるものなのかしら…




恋愛小説として読むと?????って感じです。

登場人物の誰にも感情移入しづらいです。

泣ける物語ではありません。


なのに読んだら絶対心を掴まれてしまう。


私はキャサリンもヒースクリフのことも、好きにはなれない。でも「本当に心から愛する」ってこういうことなのかも知れないな。美しさや美徳や性格の良さ、そんなもので結びついてる恋愛がちゃちに見えてしまう。

それはハワーズという土地の持つ魔力かも知れない。


ハワーズにまた行って、『嵐が丘』を感じたいな!