新しい一年が始まりましたね。
年明けから地震や事故など、なかなかにつらいことが続いていてつらさを遠ざけようと、三が日はあまり情報を見ないようにしていました。
こんな年の始まりですが、自分のできる範囲で被災地支援をしていこうとかんがえています。
ところで、年末は仕事納めから掃除に明け暮れて、元旦は親戚の集まりがあり、その後の二日間だけボーッと過ごしました。
四日から働いてます〜世間は三連休ってほんとですか?今日もお仕事だよ!
去年から読み直していたディケンズの『荒涼館』。やーっと、4巻まで辿り着きました。
岩波文庫『荒涼館』全4巻 ディケンズ
“誰もが知っている訴訟、ジャーンダイス対ジャーンダイス。その訴訟は何代にもわたって争いが続けられ、巻き込まれた人の数は知れない。
緩慢に続けられる裁判、膨らんでいく費用、結末に望みをかけて身を持ち崩していく関係者たち。
法律は法律家の食い扶持を稼ぐためにだけ存在するかのようだ。
その関係者リチャード、エイダ、ジャーンダイス、そして主人公のエスター。
彼らはどんな結末にたどり着くのか?“
以前読んでいて、結末知ってるはずなのに楽しい。それがディケンズ。
ディケンズは「出生の秘密」がテーマになっている作品が多くて、この『荒涼館』もそうなのですが、この作品はさらに英国の裁判制度の批判も絡み合っていてさらにミステリアスな部分もあり、読んでいてドキドキします。
法律や裁判制度の批判はゴドウィンの『ケレイブ・ウィリアムズ」もそうでした。
しかしゴドウィンはコモンロー(殺人とか、窃盗に関する法律)について書いていたけれど、こちらは財産と相続に関する法律です。
法律って現代の国家にとってなくてはならないものだけど、そのあり方というのは時代を経て少しずつ改善されてきたものなのだなぁと。
そして時代が移り変わるにつれてまた法も変わっていくべきものだと感じます。
そして私が興味深かったのが慈善事業についてのディケンズの皮肉。
自らの家庭生活を顧みずにアフリカの慈善事業に没頭したりする女性たちを描いています。
当時実際にそのような女性たちが存在していたらしいのですが、ディケンズは彼女たちに容赦ない批判を浴びせています。
当時の「理想的な家庭生活」には家に奉仕する女性がいてこそ、というディケンズの考え方が示されています。
現代においてはもちろん古くさい考え方かも知れません。
でも現代でも男女関係なく自分の足元は振り返らずに正義を振り回して世界を良くしようとする人たちって、居ますよね。
自分の周りの人を幸せにできずに世の中を良くすることなんてできるんでしょうか…?
私は女性に限るという点ではディケンズに反対ですが、考え方には賛成です。
そう、震災があった後、そんな色んなことを考えさせられるという点でも、とても刺激的な作品です。