ALSの女性〜その2〜 | 専業主婦 鶴子の日記

専業主婦 鶴子の日記

H30.春。結婚を期に、九州の大分県から、大阪へ引っ越してきました。令和元年、放送大学の学生になりました。女子大生(腐女子大生です)
日々の出来事や感じた事を書いていこうと思います。

おはようございますタコ
昨日の続きです



〜自分の意思で力強く生きる事はできる!
安楽死 法制度化に反対〜



死にたいと思ったのを振り返ると、
全てが苦しく、心が悲鳴をあげていた。
手も足も動かなくなり、
言葉も思うように出せなくなると、
悲しみでいっぱいになり、
人間として機能していないのだと嘆いた。
周りからも見下される様になった。
身体的苦痛から、
誰も私の気持ちを理解できない、
と孤立感が続いた。

身体的には自分のことは自分では出来ない。
ただ、人の手を借りながら、自分の意思で、
自分の人生を力強く歩むことはできる。
経済的には、各種手当てや助成、
障害福祉制度を使いヘルパーさんを頼める。
お金持ちしか生きていけないわけではない。

国会で活躍することも、
事業を立ち上げることも、
子育て孫育てすることも出来る。
今の時代、ALS患者は無限に活動的になれる。

今回の事件は自殺ほう助ではなく、
金銭目的の殺人。
私は医師による自殺ほう助を認める安楽死の
法制度化にも反対している。
自殺ほう助は、患者さんの明確な意思を受け、
医師が致死量の薬物を投与すること。
呼吸器などの延命治療を行わないことや、
抗がん剤を中止することなどとは別のもの。

反対理由は大半の医師が
ALS患者の心の揺れ動きや
生き方を知らないから。
医学知識だけで患者を見て、
個人の存在価値に目を向けないのは、
医師の陥りがちな過ち。
苦しいから死んでしまいたいと言われ、
そう言うのだから手伝いましょう、
といった安楽思考に陥るのもいけない。

「厳格な基準を定めたら、医者が自殺したい人に致死量の薬物を入れて殺してもいいんじゃない?」といった意見が一部あるが、
「厳格な基準」とは何か?
命を救う医者に、
そうした権限を与えることは正しいことなのか?
安楽死が法制度化され前例が出来れば、
患者の命が事務的に処理されかねない。

本人の工夫と周りの支援次第で、
本当は絶望を乗り越えてもう一度輝けるのに、
そんなことは知ろうともせず、
本人も医者も死にむかって進んでしまう。
ALS患者は「安楽死」か
「可哀想に苦しんで生きる」かの
2択しかないわけではない。

どんな過酷な病気でも適切な支援があれば、
人間は適応出来る驚異的な力を持っている。
絶望の先に力強い人生が待っている。

医療者や周囲が行うべきは、
死にたくなるほどの苦しみを一つずつ
取り除いていくことなのだ。


以上、
竹田主子さん寄稿、
毎日新聞の記事の抜粋要約。



竹田さんという方は、なんと気高く
強い輝きを放つ方なのでしょうか…。



安楽死については私も反対です。
私が懸念するのは、
安楽死が法制度化し、
病を理由に死へ進む方が増えれば、
病と共に生きようとする方が必要な
社会保障制度や社会環境の整備が
進まなくなるのではないか、
そのための充分な予算が出なくなるのではないか、ということ。



社会保障費は年々増加し、
高齢化の進む日本では
今後も増加する見通しです。



病院のベッド数や保健所の数が
減らされていることは
コロナ禍で問題になりましたが、
国はさらなる削減を目指しています。



年金についても65〜70歳までだった
繰り下げ受給が、75歳まで拡大となりました。



国は社会保障費を何としても下げたいと
動いています。
その中で安楽死の法制度化となると
まるで厚労省や法務省の話しではなく
経産省が命を無機質なものとして判別し、
算盤を弾いてふるいにかけているようで…
恐ろしいのです。



私はエンディングノートを書いていますが、
書きかけて止まったままです。
終末期は?
突然の事故や事件での
呼吸器や脳障害は?
積極的な延命はしないが
積極的な絶命は望まない!
ただ脳死の場合は
今でも死として受け入れられない。
持ち物はどうする?
大切なものの置き場所は…
葬式は?
夫との意見の違いもあるし…



エンディングノートとは言いますが、
自分の生き方を考えることになるので、
未熟者の私はサラサラとは書けないのです。



記事を書いた竹田さんの生き方が眩しいです。



長くなりましたが、
読んでいただきありがとうございましたルンルン

皆さん、今日も健やかにお過ごし下さいクローバー