ガダルカナル 9月5日 | cat day afternoon

cat day afternoon

子供の成長とガダルカナル航空戦

VMF-224の戦時日誌では、「0200に4隻の駆逐艦による艦砲射撃があり砲兵陣地の7人が戦死した。2隻のAPDがこの攻撃により海峡で沈んだ。」とある。

攻撃してきたのは駆逐艦夕立、初雪、叢雲で、沈んだのは哨戒中のグレゴリーとリトルだった。

夕立の戦闘詳報では、4日2200(5日0000)に揚陸を完了後、「「ルンガロード」に突入飛行場射撃中敵敷設巡洋艦及駆逐艦各1隻を発見直に近迫猛撃を加へ之を撃沈せり」とある。3隻は海上を漂うリトルとグレゴリーの生存者を掃射しつつ付近を捜索したが、他に敵影なく4日2400(5日0200)に帰途についた。

MAG-23の戦時日誌では、0720、2機のP-400(※ブランノン大尉機とファウンテン少尉機)が離陸、0745、VMF-224の6機のF4F-4が離陸。目標はビサレとレバー海峡(※?)の間の海岸に上陸しようとする約75人乗りと推定される15隻の上陸用舟艇。「14隻が海岸に到着したがすべてがひどく撃たれ、パイロットは兵士の50%が死傷したと推定している」VMF-224のロバート・ジェフリーズ少尉機が小口径の機関銃の射撃を受け、操縦不能となり、海面に激突した。ほかの機は0825から0910の間に帰投。
VMF-224の戦時日誌では、0745にドビン少佐とアーミステッド少佐、ジェフリーズ少尉、クンツ少尉、ムッセルマン少尉、ギャラブラント二等軍曹が離陸。
ジェフリーズ少尉が小火器の射撃を受け、海面に激突。機体は爆発した。少尉の納入番号5074のF4F-4は失われた。

亀井宏氏著の「ガダルカナル戦記」では、攻撃を受けた舟艇機動部隊の将兵たちの多くの証言が出ているが、ほぼ全員がジェフリーズ少尉機と思われる敵戦闘機の墜落を目撃している。ただし、複数の機の墜落の目撃証言が多い。

この日も三澤空、木更津空、千歳空の陸攻隊はガダルカナル飛行場攻撃任務に出撃した。機数は各9機。指揮官は三澤空行動調書では野中大尉。木更津空、千歳空行動調書では木更津空の峯宏大尉。ブナカナウ基地発進時刻は三澤空行動調書では0715(0915)、木更津空行動調書では0600(0800)、千歳空行動調書では0700(0900)となっている。武装は三澤空行動調書では60キロ爆弾90発、木更津空行動調書では250キロ爆弾3発と60キロ爆弾73発、千歳空行動調書では
250キロ爆弾3発と60キロ爆弾78発。天候は三澤空行動調書では晴、木更津空行動調書では曇。

台南空行動調書では0700(0900)に「fc0(※零戦)×15(内3機二空)ラバウル基地発進 陸攻隊と合同進撃」となっている。指揮官は河合大尉。前日にニューギニア方面から帰還したばかりの大野中尉と米田一飛、二空の角田飛曹長が含まれていた。
また、2日に大鷹に載ってやってきた一空の山口浜茂三飛曹と森浦東洋男三飛曹が、それぞれ第一中隊一小隊三番機と第二中隊二小隊三番機になっている。
二空の行動調書では、1機が発動機不調で引返すとあるが、どの機かは書かれていない。

第五空襲部隊の戦闘詳報によると、「第一部隊(※台南空)零戦大部(第三部隊(※二空)搭乗員三名増援)は6AB(※第六空襲部隊)攻撃の直接援護0700発進RXI(※ガダルカナル)攻撃」と記述されているので、零戦は全て台南空の機体なのだろう。

三澤空行動調書によると、攻撃隊は0840(1040)にモノ島、0922(1122)にコロンバンガラ島と進撃する。
木更津空行動調書によると、1005(1205)に「H空1機引返す」とある。三澤空行動調書で二小隊二番機が引き返しているのが確認できる。

VMF-223の戦時日誌では、この日の待機要員はモレル少佐、マクレナン少尉、ポンド少尉、ラムロ少尉、フレイザー少尉、ヒューズ少尉、フィリップス少尉、リード少尉だった。0950にアラートにより離陸、会敵なく1140に帰投。
1205、再びアラートがあり、理由はわからないがフィリップス少尉がジーンズ少尉に入れ替わった8機が離陸。26機の双発爆撃機と護衛の20機のゼロファイターを攻撃。

VMF-224の戦時日誌では、0951にゲイラー少佐指揮の12機が離陸、会敵なく1100に帰投。
1207、アラートによりゲイラー少佐指揮の10機が離陸。しかし内4機は会敵できなかったとなっている。

三澤空行動調書では1006(1206)に「警戒 空戦」。木更津空、千歳空行動調書では1020(1220)に「警戒」。1035(1235)から1055に「空戦」

台南空行動調書では1030(1230)「グァダルカナル上空突入 敵グラマンfc約20機と交戦」
二空行動調書では1030(1230)「ガダルカナル上空突入 敵機約10機と交戦一機に白煙を吐かしむ」

木更津空行動調書では、空戦中の1040(1240)に「攻撃目標発見不可能のためルンガ河東方地区爆撃 敵陣地に弾着」となっている。

三澤空行動調書では「雲の為弾着明確ならず」とある。

第六空襲部隊の戦闘概報
第一五号では、「1030(1230)RXI(※ガダルカナル)上空に突入密雲の為飛行場を照準し得ず「ルンガ」河東方敵陣地を爆撃せり。爆撃前より敵戦斗機(グラマンP40P39混成)約十機と交戦」となっている。当初の目標はヘンダーソン基地だったようだ。

VMF-224の戦時日誌では、「敵の爆撃機は、フィールドの数マイル北に爆弾を投棄した。」とある。第3防御大隊の90ミリ高射砲も全く射撃していない。

長時間の空戦で、千歳空の鍋倉良一二飛曹機が行方不明となる。千歳空は他に被弾機2、三澤空は被弾機1、木更津空は被弾機3、軽傷者1名の損害だった。

零戦隊は台南空、二空とも損害無し。

VMF-223は、モレル少佐がゼロファイターの20ミリ弾の炸裂で両足に深い傷を負った。しかし少佐は、コクピットにエンジンのオイルが噴き出す機体を、無事着陸させた。着陸後すぐに第1海兵師団の野戦病院に運ばれた。ポンド少尉もゼロファイターにエンジンを撃たれ、左腕を弾丸が貫通した。少尉の納入番号02076のF4F-4は9月28日に結局再使用不能と判定される。ポンド少尉はこの後も任務に就いているため、負傷は軽かったようだ。

VMF-224はギャラブラント二等軍曹が未帰還。ゲイラー少佐機も被弾により損傷する。

ゲイラー少佐の証言では、被弾しつつも雲を利用して1機のゼロを炎上させたのち、「私はフィールドに強行着陸した。すると、私の車輪が停止する前に、同じ位置にVMF-223のリバー・J・モレル少佐とポンド少尉が彼らの機を強制着陸させた。わずか3分間の出来事だった。」

深夜1時に日本軍駆逐艦の砲撃で起こされたトレガスキスは、救出されたグレゴリーとリトルの生存者に夜明けからインタビューしたのち、飛行場の司令部にいると警報が伝わってきた。そこで他の記者3人とジープに乗って、ルンガ岬に空中戦見物に行った。「ここでは無線が聞けた。ミラーは載頭受信機を身につけて、飛行機間の発信を聞きながら戦闘の生々しい現場を入手すべく呼びかけた。」「最初の興奮的な呼びだしは十二時三十二分だった。」「「飛行機は右舷前甲板を離艦せり…」」「次にモレル中尉(※原文のまま)(カリフォルニァ、サン・ディエゴのリバース・J・モレル中尉)を呼出し、「敵が見えるかね?」するとモレル中尉の答。」「「君の左方頭上にいる、見えないかね?」」「「直ちに行動に移ります」と攻撃の信号をしながらモレルが云った。」「やがて他の戦闘機が次から次へと敵機を発見した。」「「南方より爆撃機二十六機がくる」」「「戦闘態勢に移らんとす」」「今より攻撃に移らんとす」」「「爆撃機は零戦が護衛している。注意を要す」」「「注意!注意!」」「「零戦が今頭上を通過せり。注意!」」「空中戦の音が聞こえたが、飛行機が高く、雲の中だったので、見えなかった。それにまた、どーんどーんという炸裂音がした。それは初めは、高射砲のように感じたが、後になって、爆弾であったことが分った。日本軍が小競合の後に、投弾したが、別に被害はないことが分った。」「「爆撃機一機撃墜」一人の操縦士から報告が入った。「交叉射撃で撃墜!」」「次いで、味方の損害が入った。「機体に敵弾を受け着陸する」間もなく、一機が着陸するのが見えた。モーターが煙を吹き出し、機首のプロペラーは止まっていた。「丸太ん棒」の着陸だ。」「「巧くやりゃいいが!」ミラーが叫んだ。」「見ていると、飛行場の後方の所で、この操縦士は巧く着陸した。それで、味方戦闘機が、日本軍の爆撃機二機と零戦一機を撃墜したことが分った。」
 
二空行動調書では1045(1245)に帰途につく。木更津空行動調書では1050(1250)に「S空(※千歳空)1機被弾により編隊分離」とある。鍋倉二飛曹機だろうか?千歳空行動調書には記載なし。
第六空襲部隊の戦闘概報第一五号では、我が方千空陸攻一機未帰還(ニュジョウジャ(※原文のまま)不時着の算あり捜索手配中)」となっている。
三澤空行動調書では1115(1315)にヴァングス島、1215(1415)にショートランド島、1400(1600)に基地帰着となっている。
木更津空行動調書では1115(1315)に警戒元へ、1400(1600)にブナカナウ上空帰着。千歳空も同時刻に基地帰着としている。
台南空と二空も1400(1600)にラバウル基地帰着としているが、台南空は「fc0×15 ラバウル基地帰着」と記載されている。二空の1機が引き返しているとすれば、帰着したのは14機のはずである。

台南空は佐藤昇二飛曹が2機撃墜、松木進二飛曹が1機撃墜を報告。二空は前述した
一機に白煙を吐かしむ」のみの報告。
陸攻隊は三澤空、木更津空、千歳空とも1機撃墜を報告している。

VMF-223はモレル少佐とポンド少尉が爆撃機各1機の撃墜を報告。
VMF-224はゲイラー少佐がゼロファイター1機を撃墜。他に爆撃機1機を撃墜した可能性がある(※不確実撃墜と同意味だろう。)。ニコレイ中尉が爆撃機1機を撃墜。他に爆撃機1機を撃墜の可能性。

リバース・モレル少佐は1913年にカリフォルニア州の裕福な農家に生まれた。1937年に海軍兵学校を卒業。この日までに4.5機を撃墜し、功績により海軍十字章を受章する。翌年にはVMF-216の指揮官として復帰。朝鮮戦争にも参戦し、准将で退役した。2002年10月に亡くなる。

この日、日本の陸海軍現地協定が締結され、川口支隊の攻撃開始が9月11日に決まった。しかし、この後二転三転し、混乱を招くことになる。

第五空襲部隊に於ける戦闘詳報によると、「5AB戦闘概報第一四九号(九月五日)」欄に、六、明日使用可能機数 RRE(※ブナカナウ)一式陸攻十一機RRA※ラバウル東)零戦一号十六機零戦二号六機九八陸偵艦爆二機RR(※ラバウル)二式大艇二機九七大艇三機RXE(※ショートランド)九七大艇五機となっている。

この日の第六空襲部隊の戦闘概報第一五号では、「二、明日使用可能機数 木空十三、澤空十、千空九機」となっている。
 

この日の夜、時刻はわからないが、ガダルカナル島で地震があったようだ。