今回はCassa'ra(カッサーラ)開発物語(その4)を綴ります。
昨年9月名古屋市千種区のヘアサロンアールヴィヴァンにCassa'ra(カッサーラ)を開発するにあたりオーナーの大須賀広士さんを訪ねたことは前回述べました。
Cassa'ra開発物語(その3)
その後、このCassa'ra(カッサーラ)の型を絞り込むために苦手な図面制作に取り掛かりましたが信じられない展開が始まりました。
<信じられない展開とは>
9月中旬私の元に北海道に住むHさんご夫妻から高野山への旅行に一緒に行こうと言うお誘いが届きました。
Hさんの奥様とはブログを通じて知り合い霞ヶ関の反原発デモにも参加し、デモの後、娘さんも合流し新橋の居酒屋で飲んだ仲です。
昨年1月から失業中だった私は退職金を元手にCassa'ra(カッサーラ)開発に着手したばかりでしたので、Hさんご夫妻には、そのような懐事情を正直伝えました。
後日北海道のHさんご夫妻から羽田~関空の往復エアチケットとホテル2泊3日分の予約票が送られてきたのです。
電話すると『主人の考えです。旅行中の飲食費も全く心配しないで下さい』とのこと。
私としては奥さんのブロ友の1人です。親戚でも身内でも、こんなことしないのにどうしたら良いか迷いました。
しかし、これも何かのご縁なのか、或いは神様からのある啓示なのかもしれないと考え直し今回は北海道のHさんご夫妻のご好意に甘え旅行に行くことに決めました。
2泊3日の旅の行き先は全国各地を旅されてるHさんご夫妻にお任せしました。
1日目:高野山(奥の院など)
2日目:奈良県明日香村(高松塚古墳~石舞台古墳など)
3日目:奈良(大神神社、橿原神宮)
後で判ったことですが、この旅行の行き先の共通したものは石造や巨石です。
<石舞台古墳:北海道Hさん撮影>
①地上の巨石(画像クリック拡大)

②石室入口付近(画像クリック拡大)

③巨石の真下にある石室(画像クリック拡大)

石舞台古墳の説明では今から約1400年前の飛鳥時代の蘇我馬子の墓と書かれていましたが、それよりもこれらの巨石がどのようにして運ばれ、どのようにして組み立てられたのか全く想像出来ません。また近くに巨石が採掘されるような岩盤などもありません。
とにかく今でも不思議さ満載です。
最近の修学旅行はTDLやUSJに行く時代になりましたが、このようなアナログな世界、太古の石造を目で見て触れる修学旅行や社会見学も必要ではないでしょうか。
Cassa'ra(カッサーラ)は天然石ではありません。人工的に作られたケイ素のかたまりです。
しかし、今回Cassa'ra(カッサーラ)を開発するにあたり決してこのご縁や石造を無視することは出来ません。
北海道のHさんご夫妻、貴重な2泊3日の旅行をありがとうございましたm(--)m
今回はこの辺で終わります。
<時計廻りするCassa'ra水(フーチ:ダウジング)>
<3分の手入れで左右の違い(透明感ある素肌に変化)>