向き合う | かぐわし 東北

こんにちは

 

 

 

よき

タイミングが到来したようですので

 

 

 

 

このブログが

どのような

構造になっているかを

少しづつ

お伝えしてまいりますね

 

 

 

 

これは

書き手のなごみでさえ

最近から

知った

ということになります

 

 

 

 

 

わたしたちに起こることは

 

すでに

そこに準備されている

埋め込まれている

わたしは考えています

 

 

そこ

 

とは

その時空間に

ということです

 

 

 

そして

そこ

多層構造になっています

 

 

それを体験している

ただいまの存在の そのまなざしが

どのようであるかによって

 

 

なにを知るか 発見するか 目に映るかも

それに準じているように感じています

 

 

 

そこ

すでに設置されてはいますが

 

そこから

得る情報は それぞれ 違っていますし

 

その存在そのものが そこに 必要だから

そうなっている

でもあります

 

 

 

 

 

 

 

 

では

前回の記事を題材にして

 

埋め込まれている

あらかじめ

設置されている

ということが

 

どういうことなのかを

 

可能な範囲で

説明させていただきますね

 

 

 

 

言葉は発生させたときに

その域を限ってしまう

ということが起こります

 

 

その域以上の何かは

言葉にはできていない

ということを含めて

 

 

わたしは

オモウコトすべてを

ここに表現することは

許されていません

 

 

 

その範囲の中で ではありますが

お伝えできる

ことにおいては

 

精一杯

真摯に取り組むべし

姿勢でおります

 

 

上矢印

 

このなごみ

たまにふざけるから

そうは見えないえー

 

かもしれませんね

 

 

いえ それどころか

”真摯”という言葉の意味

勘違いしてますよ

 

もしくは

”唇歯”という漢字の方じゃないの?

言いたくなりましたか?

 

 

前回 なごみファン倶楽部歯医者さん支部

などという

ほんとにあるの それ!えー

というもの出してきたし…

 

今回の記事の為の 伏線を張った

とかでしょ きっと…

 

 

なごみさんの記事

最近とくに

なに言いたいのかわからない…ショボーン

バージョンアップしてるし…

 

 

近づくのも遠慮しとこグラサン

あ●がうつるといけないから…

とか

 

 

思ってたりしてましたか?

 

 

おー

 

 

読者さんのお気持ちが

どんなものか

という

 

憶測 モウソウ

お主もタケてきたで参ったか…

 

 

 

なかなか殊勝な心掛けじゃ

 

めでたい能笑い拍手

 

 

 

そちは取り扱い注意注意

でもあるのしのうハッ

 

アシストに最近苦労されている

チームなごみ軍団の声

このなごみには

さっぱり

聴こえていない カモ~♬ ん?

 

 

それよりも

 

なごみそっくりになってきましたね

チームなごみ軍団のみなさんは…

申そう?妄想? 竹?焚け?

おねがい

 

 

 

なごみは

遠視老眼ミックスの

おめめばかり ではなく

 

お耳も

生物的に諸行無常の世界に

あることを

日々 イヤでも 感じています

 

 

 

このなごみ

四六時中 高音耳鳴りが 通常モードです

 

その中で気にせず生きていく方法を

自動的に身に付けた結果なのか

よくわからないのですが

 

似たような音は

これは耳鳴りである

分類しているようなのです

 

 

そのためかわからないのですが

体温計のピピッ気づき

製品によっては聞き取れないことがあります

 

 

ただいま関わっている

イイの起こり事の為

なごみは

病院に伺う回数が多いんですの

 

 

建物内あちこちにあるモニターで

ヒトの体温を

自動的に検温することが

只今は必須の病院システムですが

 

きちんと測らないとダメな 関所 もございます

 

 

そんな場所でお借りした体温計

それの

 

体温計のピピッ気づきが鳴ったか

ワタクシ

気づきで判断しております爆  笑

 

 

長いこと?

脇に棒を挟んでいると

 

 

鳴っていたのに…

 

はてなマーク

 

 

目の前のお方が

怪訝なお顔をされますので…

 

 

ですが

 

 

頃合いをはかっても

 

二回に一回は

ハズレ!残念ガーンになっておりました

 

 

でもね

 

この作業を何度か繰り返していくと

 

どこを基準に 間合いを測るか の

自分なりの仮説

同時作業内容に要するじかん+α=ピッタシ

逆に注目するということに

なっていったりします

 

 

結局

 

 

準備されていることをそのままやっていく

それだけで

この世界が

お仕組み通りに進行している

これを

確認していることにも

つながっていることに

 

気付きます

 

 

 

慌てなくても大丈夫チョキ

 

目の前に提示されたことに

丁寧に向き合うことを大切にしたらいいんだな

理解します

 

 

 

カギ

 

 

 

前回の記事を投稿したのは

2023年6月24日

 

13の月の暦

kin142

でした

 

 

このときの 数字 に

注目してくださいネ

 

 

 

わたしたちの経験することは

どんな瞬間も

システマチックにすでに整えられています

 

なぜ そう思うのか

なのですが

 

 

なごみ人生の起こり事を

自分の年表と日本地図に重ねて見てみたときに

 

空を飛ぶ鳥さんのような視点で

鳥観図がそこにあるかのように

把握したときに

 

これって 随分 システマチックだ

感じたからです

 

 

 

ときどき

わたしは

距離計算com.で算出された数字を

記事にしていたりしますね

 

これは

それを客観的に自分で

再度検証しているということ

でもあります

 

 

わたし以外のどなたさまがやったとしても

算出結果が同じである

になることが

検証した

ということになります

 

 

 

記事の中で

詳しい所在地などは

お伝えすることはできませんが

わたしが

申し上げるその語彙を入力すれば

どなたさまでも

同じ結果を目にすることができる

ということになります

 

 

 

このような流れも含めて

自分のこれまでの人生

(この空間場での)

観ました結果

 

 

 

 

自分に起こることは

必要があって起こっている

 

そして

どの瞬間も

あなた(わたし)を取り巻くすべての存在との

コラボレーションされた

ものとなっていた

 

これが

よくわかりました

 

 

 

 

では

数字が伝えてくれるものから

お伝えを始めます

 

***

 

 

まず最初に申し上げておきますが

 

このブログは実況中継ブログです

 

 

 

投稿する前に 

文節を整えたりはしますが

 

 

そのトキの感覚で

書いたことは

なるべくそのままにして

投稿しています

 

 

 

また

 

 

投稿を終えると

なごみの場合

さきほどまで書いていた記事の内容は

うすぼんやり…

なります

 

 

 

ですから

 

自分で書いた記事ではありますが

 

なにかのキッカケがあって

タイムライン記事として上がってきたとか…があって

とかいうキッカケ

 

読み返したときには

 

へぇーびっくりこんなこと書いてたの?

なんて思うことは数知れず です

 

 

そういうこともあるので

わたしは

記憶あっちこっち

自分を表現したりしています

 

 

***

 

 

では

 

kin 142の数字

なのですが

 

 

このブログ内に

同じkin142の日に投稿した記事が

既にあります

 

 

「フィンランド理科教科書と…」

2022年1月20日 10:00

 

こちらの記事内容を

確認してくださればお分かりになるかと思いますが

前回の記事(kin142の日)と

関連したことを書いている

ということが

特に

なごみ人生の起こり事事象 そのもの を

その数字の日に

また書いている

ということが

 

一目瞭然かと思います

 

わたし

自分の記事を見に行って

驚き気づき 桃の木気づき 山椒の木気づき

びっくり

でしたんですよ

 

 

 

 

 

 

わたしは

前回の記事投稿中に

前回の記事が

kin142

になることは知ってはいました

 

ですが

 

過去記事の同じkin のときに

どんな記事を書いているのだろうか…

確認することはしませんでした

 

 

確認したい

とも

思いませんでした

 

 

 

こちらは

実況中継ブログです

 

 

その瞬間に起こることを

なごみが

どのように受け取るかの一部始終も含めたものを が

みなさんにお伝えする内容となります

 

 

 

ですから

内容を知る必要はない

わたしは

判断したのだと思います

他人事表現で失礼します

 

 

 

わたしたちの発想は

何かを土台にしています

 

それぞれが

その発想のもとに映しだされた物を観て

なにかを判断しています

 

 

 

発想は

その方の為さる

その行為にあらわれますね

 

その瞬間のまなざしがどのようであるかで

そのエネルギーの求められる場に

わたしたちは

即移動します

 

 

そして循環し続けます

 

 

この宇宙は

常に

循環と還元のお仕組みの中にあります

その発想のまま 循環している世界を生きる に

なっていくのだろう

思っています

 

 

 

ご自分の世界がどのようなものであるかを

当の存在が把握することは

ちとムズカシイかも…

わたしはそうも感じています

 

 

 

目の前に現れてきた存在の

 

上でもあり下でもあり

右でもあり左でもある

という認識を瞬時に

することが可能である存在だけが

 

その世界がどのようであるかを認識できるのかも…

 

そんな風にただいまは感じています

 

 

いずれにしても

この世界は完璧に運行されている

ということは

このなごみは

確信しております

これも年の功で得ました

 

 

なにが起こっているのかの全容は

わからないままであっても

 

起こり事に丁寧に対処することに

専心するべし

 

そう思いましたんですよ♡

 

 

 

 

前回の記事でお話ししました

昨年鉢に植えた果樹の苗は

 

根っこが何もなくなっていたのに

 

雨風を受け続けながらも

すくっと立ち続けていたと化していました

 

 

 

これが何を示唆していたのかを

ようやく受け取れた

そんな気がしております

 

 

 

そしてここ最近に

”根っこ”についての記事を書くように”を

暗示していた

その置き石となっていたのは

 

 

佐渡市にある

根本寺

について書いた記事です

 

 

能の演目 ”鵺” を書かれた

世阿弥 絡みで

この語彙が出てきております

 

 

 

根本

という文字が伝えてくれたことは

とても大きい

 

それも

同時に想いました

 

 

あの根本寺の文字が出る記事の

少し前の時期に

 

法華経 譬喩品(ひゆほん)の中にある

【三界火宅】

という語彙が脳裡に浮かんできておりました

こちらについては

右差しどうかお調べください左差し

 

 

 

うそ(かえ神事)→方便

ハッシュタグ#三界→三界火宅

こんな流れの図式の記事が

 

既に将来にある

 

とは思ってはいたのですが

 

 

 

根本寺が日蓮宗であることを知ったときに

法華経に繋がっているカギ

 

そう思いました

 

 

 

 

・・・ー・・・

日蓮宗は

法華経を大切にされているようです

法華経は釈迦が晩年説いた教えで

釈迦の集大成の教えといわれているそうです

ー日蓮宗のサイト参照ー

・・・ー・・・

 

 

 

 

 

わたしの場合は

 

なのですが

 

なごみ人生の起こり事とそれに纏わる

想い事をこのブログで伝える

役割であります

 

 

 

想い事に行き着くまでのその流れ自体も

ブログの中で

デザインされている

 

これも

あわせてお伝えすることになっていたということを

 

記事がある程度まとまったときに

それを

理解をさせていただきました

 

 

 

創作物は

いろんなエレメントを使いながらも

 

トータルで

表現がなされています

どのようなものでも…

 

そう思っています

 

 

その創造物の

一部分を取り出して分析したら

すべてを理解できるか とは イコールではない

かもしれません

 

 

ただ

フラクタル構造にはありますので

どの部分にも

大切なエッセンスが含まれている

でもあるのだと思っています

 

 

 

そして

それ故

 

どなたかが

創造され表現されたものは

わたしの認識できないものも含まれている

 

なのだと思います

 

 

 

同様なエレメントがそこに集まれば

それが創り出せる

というものではない

ということですね

 

 

 

部分を取り出しただけの解釈だけでは

伝えたい本質に は ほど遠い

そんなことがあるようにも思います

 

 

 

。。。

 

 

 

このブログは

 

過去(という時空間)に起こったことに

基づいて綴っておる形を

とってはいますが

その過去は

 

この”今”

あった時空間の記憶の過去

とも言えます

 

 

わたしは

すでに

この時空間では

 

過去と未来の存在から

(みなさんから)

なにかをいただいています

 

 

いただいた結果

どうなっているかをお伝えするために

還元するために

ここにあらわれている

だと

思っています

 

 

 

これ

 

過去⇒未来

という流れのベクトルだけで

起こり事を無意識に解釈されようとなさる方は

ほんとうに

わかりにくい わからない

感覚だと思います

 

 

 

あのとき

あんなことがあったので

それが生きて今につながっている

過去が今の自分のすべてをつくった

 

そして

これからの自分は

なにかを選ぶ 選ばない は

(経験に基づいて)自由意志で決めることが出来る

 

 

思われる方がいらっしゃるとするならば

ですが

 

 

無意識に

 

過去⇒未来

という

トキの流れだけのベクトルを用いて

事を解釈している

 

なのだと

わたしは考えています

 

 

 

全ての事象は

ぶつ切れ

です

 

 

 

わたしたちは

 

その瞬間

 

その在り方のエネルギーが

必要とされる空間場に

移動している

だけ

 

わたしは

そう思っています

 

 

 

 

いいことをしたから いい結果になる

わるいことをしたから わるい結果になる

 

この

いい わるい を

みなさんは

どんな尺度に基づいて

判断されていらっしゃいますか?

 

 

常識ですか?

 

 

その瞬間に

ご自分が理解されている いいわるい は

 

トキと空間が違えば

 

その瞬間に思われていた

いい わるい

にはならないかもしれません

 

 

 

 

その場所ならではの 常識ということの

観点だけからみた場合でも

 

海外旅行などをよくされるかたは

リアルに

体感されていらっしゃるのではないでしょうか…

 

 

 

 

その瞬間を

ヒトがどのように認識したとしても

 

 

この地球は 宇宙は

どのような存在も等しく

育み

包み込むことを大切にしておられる

そう感じています

 

 

 

この地球と宇宙が

もっとおおきな宇宙にされていることと同じことを

みなさんにそのまま還しています

 

今回はここまでとなります

 

ご参集

ありがとうございます