夏休みはあと2日、自筆の作品、これはブロク「二丁食堂トレドにようこそ」の読み物に掲載されているものです。2000年初頭、トレドは「日替わり弁当トレド」。毎日手作りの料理、手作り味噌汁それに継ぎ足しカレー。日々たくさんの常連客がお見えに。黙って座れば、料理が出てくる。それも昨日と違う日替わりが。すべて売りきらないと、だめ。次の日には売れ残り、お客さんにに出せません。常連客はトレドに来れないとき、電話で連略してくれたものです。カウンターだけの10席のトレド。いくつものカップル誕生。笑顔と会話が退えないトレド。
その頃、トレドは「地域猫を守る」小さな会に協力していまいた。木造建築の多い地区。軒下や縁の下が彼らの棲家。トレド横の幅50センチの隙間に猫の小屋を作り、地域猫ミーを中心とした6、7匹の猫に残飯を提供。お客様たちも、近所の方たちも皆協力的で。「神楽坂は猫の街」として猫好きの人たちが多くこられました。
突然、この地区の再開発の構想が出てきたのです。地主の桝本が10軒の地権者をまとめ、東京理科大学の資金でビルを建設というものでした。でも理科大の不正の届けがあり、新宿区の怒りをかり、計画が頓挫仕掛けたこともあり、計画は難航しました。でもいまビルが建って、トレドはそこの熱海湯通りにあります。不思議なことに、自分は再開発が決まって、ボロトレドが新しいビルの新店舗になることより、ミーたちの外猫たちの運命のことが心配でした。お得意さんだった日本出版の「猫びより」に「再開発の猫たち」を持ち込みました。
これを読んだテレビの制作会社の田上さん、橘さんの努力でフジテレビ、ノンフィクション「人生まさかの神楽坂」として放映されたのです。反響はありました。でも過去の話になり、トレドは暇の時間が、でも自分にはたくさんの時間をくれました。そのときに書いたのが表題の作品です。
日本の外猫対策のこうしたらいいのにという夢、理想をねがってかいたのが「猫大使黄泉の国か
ら」です。死後のミーが黄泉の国に呼ばれ、歴代の首相と構想をねるです。自分と年まのミーとの会話。自分も楽しくって、筆が進みました。 ぜひ読んでください。