「アセクシュアル」と初めて接してから2ヶ月。気づきだらけでした。
しかし、本当に理解できてるのかな、ってふと感じることがあります。
他人に向かない性的欲求、恋愛感情がない世界…きっとこの先私がこれを身をもって知ることは無いのでしょう。
こういう世界が存在するのは理解できるんです。でもそれってどういう感覚なんでしょうか。
正直、一生かかっても答えにはたどり着けないでしょう…。
マイとのラインを見返していたら、こんな会話をしていました。
マ「恋愛する人ってさ、いつの間に恋愛対象として他人を見るようになるんって思うのよな」
私「なんでなんやろうな、言われてみたら不思議やな」
マ「よく付き合ってみたらいいやんとか言われるけど付き合ってる人とかは知らず知らずのうちに他人を恋愛対象として見るようなるわけやろ?」
私「まぁそうやな」
マ「でも、私らはその過程がないからわからんのよね」
この会話を見て、「あぁ、マイも自分と同じでヘテロのことはわからないんだな」、と気づいたのです。
そして、ふと見かけたあるツイートで一つ辿り着くところがありました。そのツイートがこちら。
”差別しませんと宣言してる人より、差別意識はありますが対人関係ではだしませんと言ってる人の方が信用できる”
「差別しませんと宣言している人」。自分がそうだなって思いました。今の私は「アセクシュアル」を否定することはもちろんしませんが、無責任に「アセクシュアルのこと理解してるから」とマイに言っていた私は「差別しませんと宣言している人」なんだと思います。
目指すべきところ。それはわからないことはわからないと認め、「理解できなくていいから肯定できる」ということなんだなと私の中で辿り着きました。
もちろん理解しようとすることは諦めませんが、「理解できないこと」は決して悪いことではなく、「理解できないことを理解した気になっている」ことが愚かなことなのだとLINEとTwitterが教えてくれたのでした。