●「赤い公園」津野米咲、死去 | サンロフトの本とテレビの部屋

●「赤い公園」津野米咲、死去

●「赤い公園」津野米咲、死去
よく知る芸能人の自殺が相次いでいる。

「赤い公園」は名前を知っている程度だが、彼女がやっていたNHK-FM「ゆうがたパラダイス 赤い公園・津野米咲の小粋なポップロックパラダイス」は、初回からずっと聴いていた。

この時間帯、20年間ぐらいBGM代わりにNHK-FMを流しており、番組が入れ替わっても、なんとなく聴き続けている。

先日も聴いたばかり。慌ててNHKオンラインの番組表を確かめると、放送予定の明日は、別番組に差し替えられていた。

その後のネットニュース等で、モーニング娘。の「泡沫サタデーナイト!」や、つばきファクトリーの「笑って」を作詞作曲をされたことを知った。どちらも好きな曲だ。

ご冥福をお祈りします。


●西新井展示場に、OII型ではなく初代O型が建っていたら……
1980年に福井へ引っ越しては来なかったし、今も別のどこかに住んでいるだろう。

1976~1977年にO型のモデルハウスを観ていたら、やはり、建てたいと思ったに違いない。A型2階建て、MII型、G型等も無い頃だ。その驚きは1979年4月にOII型を観るよりずっと大きかったろう。

父は、家を建てる気など無いから、1978年に利殖のために適当な土地を買った。その前にO型を観ていたら、住む気の無い場所に土地など買うわけがない。利殖のためでも、住む可能性も考えて選んだはずだ。

1979年に仕事が失速するとは思わず、O型を建てた可能性だってある。良いか悪いかは別として。

当時住んでいた草加駅裏のチマチマした住宅地では、あんな巨大住宅を建てる場所など無い。と長年思っていたが、Googleマップが出来てみると、近所にO型を発見。恐らくO型NEWかOIII型だ。1970年代当時は、私道しか無い畑だった場所。

客観的に見れば、中学高校で何があろうと、その後の人生などどうとでもなるのだろうが、当事者の感覚では、そうではないのだ。一発逆転があれば、そんな考えも消えたのだろうが、そうならないのが現実というものである。


M型2リビングの連載は、次回、最長の7回で終わる。その次の予定は無い。