●西城秀樹、死去
●西城秀樹、死去
『情熱の嵐』以降しか分からないなぁ、と思ったら、この曲でブレイクしたのだという。だから、最初期から知っていたに等しい。幼児期から観てきた人がいなくなるのは、虚しいものだ。
どの歌手を振り返っても、小学校高学年の頃(1977~80年)の曲が印象深いのは、個人的な事情。『ブーメランストリート』、『ブルースカイブルー』、そして、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』。
『YOUNG MAN』は小6(1979年)の夏頃のイメージが強いが、発売は2月。ちょうど、天才の彼女の隣の席になって右往左往していた頃だ。5月には『ホップ・ステップ・ジャンプ』が出るが、『YOUNG MAN』を小ぶりにしたような曲で、曲自体の印象は薄かったな。でも、この頃のことだからよく覚えている。
と、いつもならここで話が終わるところだが、中学・高校時代の曲も思い出深い。
福井へ来て2、3日後の4月初め。祖父母の家のテレビで『愛の園 (AI NO SONO)』が流れた。近くに住んでいた従妹が来ていて、「この曲面白いんだよ」と言っていた。確かに、一風変わった曲だと思っていた。1980年3月21日発売だが、テレビではもう少し前から流れていたようだ。
その時、彼女に小学校の卒業記念アルバムを見せた。川島海荷似のあの人を、すごい美人だと感心していた。
3月30日、母と電車で来た時はほんの手荷物だけだったが、同日、父が当面必要なものをカリーナ・バンに積んで来た。その中に卒業記念アルバムも含まれていたのだ。私にとって、当時から大事なものだったのである。
車に3人乗って来なかった理由は3つある。車の後席を倒して荷物をフルに積みたかったこと。母が車酔いすること。そして、電車より3時間以上かかるため私が嫌がったこと。やはり、途中まで新幹線だと速い。
中1の時、中学校連合体育会か何かの応援曲が3つあり、その1つが『俺たちの時代』だった。曲の最後の「俺たちの時代!」で、頭を低くして両手を前に突き出す振り付けだけ覚えている。
放課後の応援練習はイヤだったが、左隣りの列が6組の女子で、斜め前に顔の濃い彼女がいた。中1になって2人めに好きになった人だ。私の前のクラスメイトが彼女と親しげに話していたけど、後の高校時代のリアル・エースをねらえ!のごとく、そこに加わるのは容易じゃない。
6組には、中2で同じクラスになる福井へ来て以降最も好きな人・謎めいた彼女もいたはずだが、中1の時点ではまったく印象に無かった。
その後、中学校時代では『サンタマリアの祈り』、『眠れぬ夜』、『聖・少女』、『ギャランドゥ』等をよく聴いた。高校時代には『ナイトゲーム』、『抱きしめてジルバ -Careless Whisper-』等。幼児期から長い期間、いつも聴いていたな。大人になって以降は、アニメがらみで『走れ正直者』や『ターンAターン』とか。
今思うと、最初の脳梗塞の時はまだ若かったんだな。人生終盤は大変だったろう。ご冥福をお祈りします。合掌。
●富士通「FM-8」の起源は?
↓の記事中に富士通の社長の言葉として「富士通は1981年にFM-8を投入して以来……」と書かれている。「FM-8」は略称で、製品名は「FUJITSU MICRO 8」ではなかろうか?
調べてみると、1981年の時点ではカタログや雑誌広告はすべて「MICRO 8」表記で、「FM-8」とは一切書かれていない。
ところが、1982年11月のカタログでは大きく「FM-8」と書かれているではないか! FM-7、FM-11登場(1982年11月)に合わせて「FM-8」が富士通公認(?)の略称になったのだろうか?
月刊『I/O』1981年12月号の記事では既に「FM-8」が使われているものの、『月刊マイコン』の1981年12月号では使われていない。記事の対応機種を示す2文字の記号も、「FM」ではなく「MI」。ちなみにPC-8001は「PC」、MZ-80K/Cは「MZ」、MZ-80Bは「ZB」。
果たして「FM-8」の略称は『I/O』起源なのか? それとも富士通自身が以前から使っていたのか?
関連ページ PC Watch『レノボ傘下になった富士通PC部門、量にこだわらず人に寄り添うモノづくりを宣言』
関連ページ 『Catalog Musiam of FUJITSU Personal computers 富士通パソコンのカタログ』