●一粒で三度おいしい | サンロフトの本とテレビの部屋

●一粒で三度おいしい

●一粒で三度おいしい
「教授」の話を続けて書いた。小学校時代の好きな人の中で、最も見た回数が少ないだろうし、最も接点が薄い。情報もほぼ無いに等しい。長身で痩せていて、ショートカットで頭の良さそうな顔。雰囲気は天才の彼女によく似ていた。しかし、顔そのものはもう思い出さえない。あだ名は「きょうじゅ」だが、「教授」かどうか定かでない。最後の最後に名前の読み方のみが分かったが、漢字は分からないし聞き違いがあったかもしれない。なのに、37年半を経て、なぜこんなにも強く惹かれるのだろう?

 

幼稚園から小3まで好きだった◯ちゃんも、小3で同じクラスになるまでは、何度も見ていない。だというのに、同じクラスになる前の時点で、情熱の強さでは後にも先にも無いほどであった。

 

川島海荷似のあの人でさえ、同じクラスだった小1以降は見た回数が少ない。小2、小3はたぶん見ていないし、小4も数えるほど。小5、小6では朝礼や集会のたびに見てはいたが、見た時間の合計は少ない。小5では前から3番目だったのが、小6では2番目になり、中学校では1番前になるのではないかと心配したものだ。痩せているので、本当に小さい印象だった。それ以外には、気の強さぐらいしか知らない。こんなにも知らないのに、なぜ生涯で一番というほど惹かれるのだろう?

 

「一粒で二度おいしい」とは「アーモンドグリコ」のキャッチコピーだが、これまで好きになった人で、後から違う魅力を発見したという経験はほとんど無い。一目惚れはほとんど無い代わりに、好きになってから後は何の変化も無い。しかし、唯一、2つどころか3つの魅力に惹かれた人がいる。

 

天才の彼女だ。まず、一目惚れしたくらいだから、顔が可愛い。その後、驚異的な校舎の絵やあり得ないほどの頭の良さを知って、取り憑かれたようになった。さらに小5の最後に隣の席になり、彼女の無邪気さの虜になった。11歳にしても、こんなに無邪気な人は珍しい。小4の最初の頃に隣の席になっていたら、今、「天才の彼女」ではなく「無邪気な彼女」と書いているかもしれない。

 

例えば、天才の彼女と同じクラスにはならず、どこかで見かけて一目惚れしただけで終わっていたら……。ただ顔が可愛いというだけで、生涯で一番好きな人として今なお想い続けているだろうか? たぶん、同じだろう。川島海荷似のあの人だって、さほど変わらない条件じゃないか。