●それでも『宇宙戦艦ヤマト2199』を支持する理由 | サンロフトの本とテレビの部屋

●それでも『宇宙戦艦ヤマト2199』を支持する理由

●それでも『宇宙戦艦ヤマト2199』を支持する理由


また、コメントいただきました。
なるほど、「艦長」もリアリティですか……。
2199の設定資料集は買う予定ですが、BDやプラモまでは触手が伸びません。一度は観たいが、何度も繰り返し観たいかというと……。



それでも尚、私が2199を支持する理由。


昔から、リメイクものにガッカリすることが多かった。
「ガッチャマン」。総集編をベースに近代化するも、ケンと父(レッドインパルス)の関係がぼかされたり、ジョーの病気の件が無しになったり(旧作本編を観てないとわからないから?)、ギャラクターの正体も旧作より陳腐化。
「地球へ…」。2199の古代進同様、ジョミーの孤独さが薄まり、みんなで協力して戦うというイマドキのストーリーに……。
「キャシャーン」。OVAにありがちな、これといったストーリーも無くただ荒涼たる世界観を描きたいだけという……。
それらと比べると、2199は設定やメカデザインの現代的アレンジが必要最小限。


第2に、完結編以降のヤマトの失望感。
「ヤマト2520」は宇宙戦艦ヤマトだと思わなければ楽しめたが、「大YAMATO零号」はもはや物語の体をなしておらず、復活篇はヤマトの世界観から逸脱したメカデザイン&続編を見込んだ中途半端な結末。キムタクの実写版に至っては、意味不明。
公開当時、疑問に感じた「永遠に…」や「完結編」も今観直すと(上記迷走作品と比較すると)、素晴らしい。
20年ぐらい前から、新作やリメイクの噂は絶えず、島大介をスラム育ちにするとかキャラクター無視の新設定の話が出る等、もうヤマトはダメだという空気になっていた。パチンコのCMにCGのヤマトやアンドロメダが登場した時は、完結編以降のどのヤマト派生作品より良く出来ているとさえ感じた。変な比較だが、2199の艦隊戦CGはパチンコCMより出来が良くて感動した。
そうした経緯から、2199は素晴らしいと思った次第。これ以前のリメイク計画や復活篇の2作目、3作目が実現していたら、2199より悪かったに違いない。



ただ、演出やストーリーには大いに疑問がある。せっかくの大河ものなのに、全体の大きな流れが無いような気がする。それは、古代進が成長し心情が変化していく過程が、序盤だけでもかなり省かれているからだ。


前にも書いたが、古代の沖田への不信感は長く残っている。地球への最後の通信の時、古代と沖田だけが通信の相手がいなくて艦内を彷徨う。そして、古代は、沖田の息子(唯一の肉親?)も冥王星のあの戦いで死んだことを知る。ここで、ようやくわだかまりが解ける。んが、2199では、地球へ通信しない乗員が他にもいるようだ。他の乗員が皆通信に浮かれ、そして別れを悲しむからこそ、古代と沖田の「孤独」が際立つ。


で、この「孤独」は最終回のエピソードで再登場する。放射能除去装置の不具合で森雪が死ぬ件だ。長い間、森雪はヒロインだから主人公の古代とくっつくという程度にしか考えていなかったが、この設定は深い。
死んだはずの兄とイスカンダルで再会したものの、地球へ帰れば古代は独りきり。だが、その「孤独」は地球への最後の通信の回以降、特に描かれない。恐らく、古代自身それを意識せずに旅を続けていくが、最後の最後で再び「孤独」を突きつけられる。


そして、沖田の「地球か、何もかもみな懐かしい」。子供の感覚だと11ヶ月間の旅って本当に長いけど、50代なら時間感覚はずっと短いはず。やはり、死期を悟って人生そのものを振り返ったセリフだろう。このシーンはこの名ゼリフ単独で有名だが、古代の孤独、森雪の死と蘇りとの対比を含めると、なお名シーン。
はたして、2199では最後をうまく描けるか……?