【パソコン狂時代】88 ●PC-8801、FDDリッチ環境、そしてrRM撤退 | サンロフトの本とテレビの部屋

【パソコン狂時代】88 ●PC-8801、FDDリッチ環境、そしてrRM撤退

【パソコン狂時代】88 ●PC-8801、FDDリッチ環境、そしてrRM撤退


書くのがえらく後回しになったが、私はFDD&400ラインディスプレイの環境を手に入れていた。
正確な時期は覚えていないが、5インチ2D FDD「PC-80S31」16万8000円は、PC-8801mkIISRの少し前、ディスプレイ「PC-KD551K」9万9800円はSR発売直後だったと思う。


PC-8801mkIISR登場後は初代PC-8801の下取り価格も安いだろうが、FDDと400ラインディスプレイを買い足すのと、丸ごと買い替えでは10万円まで違わなかったのではなかろうか?
だが、FDDをまだ買ってなかったとしても、PC-8801mkIISRへ乗り換える気はなかった。ますますPC-9801が遠ざかるからである。
これもタイミングの妙だ。もし私がカセットテープ&200ラインディスプレイの環境を続けていたなら、そのうちPC-8801mkIIFRが驚異的低価格で登場し、迷わず乗り換えたろう。
考えてみれば、ワープロソフトも漢字BASICも無いのに漢字ROMだけ先(高1の頃)に買ったのは無意味だった。


PC-80S31はどこで買ったか覚えていないが、10万円ぐらいだった。
PC-KD551Kは、rRMで買った。当時のチラシによると25%引きで7万4800円。で、ダメ元で「ナショナルTH14-NM3G」の下取りを聞いてみたところ、申し訳なさそうに「1万5000円でしか取れない」との回答。数千円でもいいと思っていたので、即決した。丸2年使って4万円足らずのコストだった。



最初にNEC純正の「N88-DISK BASIC」7000円と「N88-漢字BASIC」2万円を買った。しかし、GRAMに文字表示を行う漢字BASICは期待外れの遅さだった。
後に、下級生からだったかシステムソフト版の「8801漢字BASIC」9800円をもらった。これは400ラインディスプレイ前提だが、非常に高速だった。ANK文字のみテキスト画面に表示していた気がするが、記憶が曖昧だ。PC-8801mkIISRではV1Sモードでしか動かず、「N88-漢字BASIC」もV2モード非対応なので、PC-8801mkIISRの日本語環境の弱さは絶望的だった。


そして、念願のワープロソフト「JET-8801A」(キャリーラボ/3万5800円)を買った。
PC-8801が低速マシンだと忘れさせる、数少ないソフトである。
RP-80F/TIIでたくさんの文書を印刷した。


「文筆Ver.II」(アイ企画/4万8000円)PC-9801版より8000円安い。
「ユーカラ」(東海クリエイト/2万8000円)。
「印刷工房」(モーリン/1万4000円)。PC-8801、PC-9801用ユーカラ対応版、テラ対応版、JET-8801A対応版等。オプションフォント7000円。ワープロソフトと組み合わせ、16ドットプリンタで24ドット印字を行う(文字サイズは1.5倍に)。
「Ink Pot」(アスキー/1万8000円)X1turbo版もあり。マウス付き3万8000円。
等というソフトもあったが、使わずじまいだ。何もかもが高価であった。



rRMで、FD版ソフトを仕入れた。コピーツールと、コピーする生FDは必須だ。コピーツール自体もレンタルされていたのか、買った記憶は無い。
ソフトのレンタル料は、だいたい定価の1/10+500円。FD版のビジネスソフトならレンタルでも数千円を要する。
カード型データベースソフト「日本語MY CARD」(AVALON/5万8000円)を借りた時は緊張した。プロテクトがかかっているという情報は無かったが、むしろ、プロテクトありならファイラー(コピーツール用のソフト毎の設定ファイル)を使えばコピー可能なので安心だった。標準のバックアップコマンドで簡単にコピーできたが、しばらくは不安なままだった。
生FDも高価で、5インチ2Dのブランド品で10枚7000円ぐらい。ノーブランドでも5000円ぐらいした。3.5インチだと1枚1500円ぐらいしたと思う。


CP/Mも入手した。確か、N-BASICモードで動いたように思う。
ライフボートのCP/M用低価格プログラミング言語シリーズが話題だった。α-FORTRAN、α-COBOL、α-PASCAL、α-APL、α-LISP、α-PROLOG、α-LOGO、α-C、α-EDIT(エディタ)。各2万8000円。rRMにα-Cが入るのを待ったが、ついに入荷せず。仕方ないので、α-FORTRANを使ってみた。



ゲームもFD版が快適だった。PC-8801mkIISRが登場した1985年初頭には、350本程度のゲームが売られていた。
「サンダーフォース」(テクノソフト)はカセット版だったかもしれない。
ゼビウス風の8方向スクロール・シューティングゲーム。X1やMZ-1500は「サンダーフォース」と喋るが、PC-8801版は弾の音ぐらいの静かなゲームだった。X1やMZ-1500では超高速で難易度が高かったが、PC-8801も別の意味で高難易度だった。反射神経より、敵弾の大群をどんな動きでかわすか考えながら進むパズルに近かった。


「ゼビウス」は電波新聞社から何機種かに出たが、PC-8801版の画面は異質だった。緑の地表はいいが、地上物(戦車含む)・敵機・自機・弾がすべて白。4面のアンドアジェネシス上空に至ると、そこらじゅう真っ白で敵弾の識別が困難だった。その上スピードも「アルフォス」に劣っていた。


「テグザー」(ゲームアーツ/1985年7月発売)は、サイドビューの8方向スクロール・シューティングで、自機は飛行機に変形するロボットだった。
1985年4月にPC-8801mkIISR用として登場。速さとFM音源の威力を見せつけ、同機種のキラーソフトと言われた名作だ。しかし、旧PC-8801版は動作が遅く、弾の音がノイズそのものだった。


「ハイドライド2」(T&E SOFT/1985年12月13日発売)は、おそらくrRM最後期のレンタル品だろう。前作「ハイドライド」はやっていないので、初めてのRPG体験だった。
今思えば単純なゲームだが、当時は斬新でのめり込んだ。PC-8801用としては画面表示も速く、動きもなめらかだった。


夏休み、X1ユーザーの友人がrRMで「アステカ」(日本ファルコム/1985年2月発売/7200円)を借りて訪ねてきた。
まだファイラーが無く、コピーできるか不明だったが取り敢えずコピー。その日は大丈夫だったが、後に完全に取れていないことが判明。面白いアドベンチャーゲームだったのだが……。


高校卒業後になるが、「C-DOS」(キャリーラボ/2万4000円)を買った。
BASIC風の「WICS」インタープリタ&コンパイラ、アセンブラ「BASE-80」、デバッガ、TSモニタのセットだった。PC-8801はテキスト画面を表示するとウェイトで遅くなるが、WICSはそれを逆手に取り、テキスト画面非表示でグラフィック画面にテキスト表示していた。自作フォントも使えたし、文字表示が意外なほど速かった(本来のテキストよりはだいぶ遅いが)。



rRM独自のミニコミ誌は1984年10月1日発行の第5号で終わったようだ。間を空け、1985年12月頃発行の「日本パソコンソフトウェア流通協会加盟店情報誌 NETWORK」No.2が手元にある。rRM各店、ソフマップ各店が加盟していた。
日経マグロウヒル社(現日経BP社)の「日経バイト」とバックアップツールの広告が並ぶさまは、ソフトのコピーが完全なアングラではなかったと思わせる。しかし、ソフトレンタルが違法とされる記事も載っており、終焉を悟った。
余談だが、当時「日経バイト」は1年購読6000円(1冊500円)、3年1万2000円(1冊333円)だった。私は、1980年代末から3年購読していた。良い時代だった……。


rRM福井店はパソコンやFDの安さも市内随一だったが、ソフトレンタルをやめると同時に閉店した。閉店の少し前、レンタル落ち商品が売られていたので、カセット版「ザ・コンストラクション」6800円を1000円で買った。


ソフトレンタルによって我々のパソコン文化は爆発的に豊かになり、その廃止により小さくしぼんでいった。ソフトハウス全体、あるいはパソコン業界全体にとってどうかは言及しない。立場によって意見は異なるし、「もしも」の話に結論は無い。
しかしながら、レコードレンタル・CDレンタルのように利益をソフトハウスへ還元する仕組みを作っていたら……、という思いは消せない。
少なくとも、クソゲー(つまらないゲーム)を掴まされるのを警戒して、評価の高いゲームしか買わなかったり、知名度の低いビジネスソフトは買わないといったユーザーの消極化は起こらなかった。


「レンタル≒違法コピーが減れば、ソフトの価格も下がる」と言われたが、効果は皆無だった。レンタル業廃止でソフトの売り上げが増えたか否かは不明だ。しかし、ソフトの売り上げが増えれば、値下げする必要が無いのは明らかである。
ユーザーが色々なソフトを使えなくなったから競争が無くなり、一太郎等の定番ソフトが値下げする理由も消滅した。
雑誌書籍同様、パソコンソフトも流通(ソフトバンク)が圧倒的に強かった。極端に安価なソフトはショップ店頭に並べてもらえない等、露骨な嫌がらせを受けた。現代のようなダウンロード販売は無いし、雑誌広告を打って通販だけに頼るのも労力的に厳しい。
アシストワード、アシストカルクが9700円という価格破壊を行う1989年まで、我々は待つしかなかった。
それでも、流通が悪とは言うまい。全国に多々あるパソコンショップにソフトを流通させた功は大きく、激安ソフトの排除で過当競争を防いだのだから。


パソコンの台数は10倍にも100倍にもなったのに、ソフトはさっぱり売れなくなった。低価格化やメーカーPCへのバンドル&プレインストールで延命を図るのみだ。
ただ、ソフトレンタル廃止を嘆いたのはあくまで1985年の話であって、今やれということではない。もっといえば、あの時ソフトレンタルが合法化されようがされまいが、2010年のPC業界に何の変化ももたらさないだろう。
多くのアプリの体験版がダウンロードでき、フリーウェアや無料ゲームが無数にある現代では、意義の薄いビジネスだ。


もしも、FM-16βが68000だったら……。もしも、PC-9801ではなくPC-100が主流になっていたら……。もしも、IBM JXが成功していたら……。もしも、MSXが16ビットの規格だったら……。色々なもしもが語られてきたが、結局どんなもしもを通過しても同じ2010年に辿り着いたのではないかと、最近思う。