【パソコン狂時代】32 ●ソフトは自作か市販かメーカー製か? | サンロフトの本とテレビの部屋

【パソコン狂時代】32 ●ソフトは自作か市販かメーカー製か?

【パソコン狂時代】32 ●ソフトは自作か市販かメーカー製か?


PC-9801シリーズがビジネス機として成功した最大の要因は、やはり、ソフトにあったのかもしれない。PC-8801から1年後という発売時期、PC-PR201という安価な24ピン漢字プリンタ、そして、ソフト。その3要素が揃ったから勝てたのだ。


だが、ソフトとは一般に言われる市販アプリの充実だけを意味しない。
現代のように、PCを買ったらOS、ブラウザ、メーラ(この2つは昔無かった)、簡単なエディタやペイントソフト、時にはOfficeまで付いてくるという感覚で、当時の状況を考えるのは危険だ。


大きく分けて、ソフトには5通りあった。メーカー製、ソフトハウスによる市販品、特注業務ソフト、雑誌掲載プログラム、そしてユーザーの自作である。
メーカー製は、今では大手PCメーカーが独自のTV録画視聴アプリ(GigaPocket、SmartVision)等をプレインストールしているくらいで、あまりなじみがない。
昔は、SORD(ソード)が自社パソコンのみで動く「PIPSプロ電」(簡易言語)をセット販売する等、ビジネスパソコンはオフコン(オフィス・コンピュータ)に近い戦略がとられていた。
現代の感覚からすれば、市販ソフトがほとんど無い以上、ビジネスユースでは唯一無二の方法だと思える。


FM-8、PC-8801等が漢字ROM(オプション)を用意したとはいえ、最初はワープロソフトなんてどこにも無い。PC-8001+FGU8000(サードパーティー製640×200ドットグラフィックユニット)用のワープロソフトを出しているソフトハウスが、FM-8、PC-8801用も出すのでは? と期待するのがせいぜいである。
標準で用意されているのは、BASICのPUT@文で16×16ドットの漢字パターンを任意の位置に表示できるというだけだ。かな漢字変換どころか、画面上の漢字を移動させるとか、どの座標にどの漢字が表示されているかの
情報管理も、全部プログラム上でやるしかない。
にも関わらず、メーカーは「漢字が扱える!」と宣伝していた。今思えば、誇大広告である。


余談だが、JIS第1水準漢字は音訓読み順に、第2水準漢字は部首別に並んでいる。これは、かな漢字変換プログラム作成の利便性を考えたからとも言われる(事実は知らない)。また、かな漢字変換の無い環境での(手動の)漢字検索の容易さにもつながる。マニュアルの漢字コード表から漢字を拾ったものである。
ワープロソフトとて、初期のものは単漢字+主な熟語変換がせいぜいで、編集機能だって貧弱なものだ。


JIS第1水準漢字非漢字を全部並べた巨大なパネルから、専用ペンで小さな文字をタッチしていく和文タイプ風の「漢字入力タブレット」もあった。『I/O』1981年12月号にはFM-8との接続記事があった(FM-8より一回り大きい!)。1981年時点では、かな漢字変換と直接入力はまだ優劣を争っていた。


PC-9801のスタートも似たようなものだった。今、Windows PCを買ってあとはフリーウェアだけで済ますというのと比べると、市販ソフトが無い新型パソコンってのは本当に何も無かったのだ。
NECはBASICとCP/M86、MS-DOSを提供するのみ。市販ソフトも出るのを待つばかり。NECがソフトハウスを回って頭を下げたのも当然だろう。


単にソフトが必要なのなら、NECはハード的にほぼ同じオフコンN5200モデル05を出していた。当然、メーカー製ソフトが付いてくる。これにPC-8801の互換BASICを載せるなり、セパレート型にしてPC-8801用ディスプレイの転用するなり、スペックを下げてパソコン並のローエンドモデルを出すなり、いくらでも方法があったはずだ。
PC-9801をあくまでパソコンとして出し、DOSマシンに変貌させるプランだったとすれば、DOSの汎用ソフトよりワープロソフトが多く売れたのは誤算だったのかもしれない。市販ワープロソフトが揃うまで苦労するより、N5200の資産を流用した方が楽なのだから。
N5200モデル05については、いずれ詳しく書く。


PC-8801用『文筆』をPC-9801に移植してもらえばワープロソフトを確保できるという浅い考えだったのか、『松』という高機能高速ワープロや、それを凌ぐ『JX-WORD太郎』の登場という熾烈な競争まで予測していたのか、本当のところは分からない。
1981年の時点で、すでにメーカー純正ソフトにこだわるメーカーを批判する論評はあったものの、自由がソフトを進化させると証明できたのは1983年以降である。
現在、Windowsの独占、IEの独占(崩れつつあるが)、MS Officeの独占が競争を阻害し、進化の停滞をもたらしている。今も昔も、メーカー製ソフトは危険をはらんでいるといえそうだ。


自作や雑誌プログラムから、市販ソフトが主流に移るのは1983年頃からである。ビジネスソフトより、市販ゲームソフトの劇的進化が起爆剤だったと思う。プログラミングはせず、雑誌プログラムも打ち込まず、主に市販ゲームをプレイするユーザー層の出現である。
しかし、流れが一気に変わったわけではない。
本来未知の(サブCPUのような)GDCの情報をユーザーに知らせ、その成果たる『TANAKAのフライトシミュレータ』を出した『Oh!PC』こそが、PC-9801のパソコンとしての魅力をアピールしたといえる。これが、自作の楽しみの拡大と同時に、市販ソフトへの期待につながった。


8ビット式のパワーオンBASICを採用したいびつなPC-9801は、いびつさゆえにソフトの変革期をうまく渡りきることができた。
BASICで通したら時代遅れ、CP/M86やMS-DOSからスタートしたら時期尚早。1CPUだったら速度不足、GDCがブラックボックス化してたら高速ソフトは出ず。メーカー製ソフトや市販ソフトが初めから揃っていたら、自由な競争や発想が生まれず。市販ソフトが揃わなかったら、売れず……。


実はもう一つ、PC-9801が成功した要因がある。発売済みのMULTI-16と、これから出てくるFM-11、MZ-5500といったライバルに勝利したことだ。これは追々書いていく。