●PC-100とPC-9801とWindowsと | サンロフトの本とテレビの部屋

●PC-100とPC-9801とWindowsと

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パソコン黎明期についての連載がある。
中でも、今年7月から始まった『第2部 第6章 魂の兄弟、日電版アルト開発計画に集う  1983 PC-100の早すぎた誕生と死』には、感銘を受けた。


NEC PC-100は一部にGUIを採用したMS-DOSマシンで、Windows開発の直接の動機になったと言われている。当初のMacintoshは、同時代のパソコンと比較して劣っている面(出来ないこと)も多かったので、マイクロソフトも最初からMacintoshのコピーをやろうとしたとは思えない。
現代から過去全体を振り返ったパソコン史観では、PC-100のそうした先進性がクローズアップされているが、実際にそれを体験している時代にはもっと違う意味を持っていた。


当然といえば当然だが、連載を読むと、企業向けのN5200やおなじみのPC-9801のエピソードが平行している。
PC-9801シリーズほど酷評され、アンチの多かったパソコンは無いだろう。
だが、初代PC-9801には多くの人が感動した。PC-9801Fにも驚き、PC-9801Mを挟んで(笑)、後のスタンダードとなるPC-9801VMが登場する。もし、私がパソコン買い替え時期をあと1年早く考えていたら、確実にPC-9801VM2を買っていた。


本格的DOSマシンだったMULTI-16、PASOPIA 16等と比較し、PC-9801をけなした人はあまりいなかった。まだ、DOSのメリットがあまり無かった時代である。
むしろ、ホビー用8ビットパソコンと比較し、多色表示やサウンド機能が貧弱なことで叩かれていた。それだけ、ホビー用にPC-9801を買った人が多かったのだ。


しかし、PC-9801VMの後は下り坂だった。翌年のPC-9801VXはCPUが80286になったものの、目新しさは無かった。買う気満々だった私は違和感を持ち、買うのをやめた。
にも関わらず、PC-9801のシェアは圧倒的になり、事実上の標準機となっていった。企業ユーザーが増えたというより、ホビー用8ビットパソコンのユーザーが次々にPC-9801に買い換えていったことが大きい気がする(あくまで当時の実感として)。
当時のホビーユーザーにとってはワープロソフトもホビーだったから、『一太郎』のヒット=ビジネス市場とは言い切れない。


さて、PC-9801Fと同時に登場したPC-100は、カラーモデルが558000円、専用カラーディスプレイが198000円。この割高感が、PC-100が主流になれなかった一つの要因だった。
だが、本体(+FDD)はPC-9801Fより十数万円高かったものの、高解像度ディスプレイはPC-9801用と変わらない値段だったし、漢字プリンタ(30万円程度)やソフト類を含めたシステムとなると、導入コストは大差なかったはずである。強いて言えば、ホビーユーザーが買うには高すぎたということかな。
その後、PC-9801のHDD搭載モデルや、PC-98XA等、さらに高価なパソコンが出てきたのだから、売れなくてもPC-100のマイナーチェンジを2、3回続けていれば、違った未来があったかもしれない。


「PC-100にはWindowsを先取りした先進性があった」と言われることに、私は強い違和感を覚える。なぜなら、Windowsが我々の前に姿を現したWindows 3.0J、3.1Jは、Macintoshの劣化コピーにすぎず、なんらの先進性も感じさせなかったからである。
それに比べ、PC-100が登場した時の驚きは、いかに大きかったか!
キーボードから直接漢字が打てた初代PC-9801に驚いたのがバカみたいだと思うほど、別次元のパソコンだったのだ。
この感覚は、当時、PC-100の実機を触った人にしか分からない。なにせ、その後の時代にはPC-100より遥かに優れたパソコンがいくらでも作られたから、それを体験してしまった後ではもう感動することはできない。


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