●『木曜劇場・素直になれなくて』 | サンロフトの本とテレビの部屋

●『木曜劇場・素直になれなくて』

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わりと面白かったので、それなりの視聴率を取ったかと思ったが、結果は11.9%。これでは、いずれ一ケタ落ちもあり得る。
「Twitter関係ねえじゃん」という批判に、すべてが集約されている。


脚本のせいばかりではない。冒頭数分が『電車男』を彷彿させた。Twitterのイメージを映像化するのが難しいのはわかるが、センスが無いと言わざるを得ない。
コマ切れシーンは仕方ないとしても、画面転換の特殊効果がウザすぎる。頻繁にシーンが入れ替わる時には絶対に用いるべきではない手法だ。観ていてイライラした。これで、チャンネルを替えた人も少なくないだろう。


『電車男』の時代は、まだインターネットが普及したばかりだった。ネット未経験者に「巨大電子掲示板」なるもののイメージを伝えるため、リアルタイムでやり取りするという事実と異なる描写も止むを得なかった……。
もう、現実と同じように描いてもいいんじゃないのかな。ケータイやPCでTwitterを読んだり書いたりするシーンだけで、大半の視聴者に通じると思うよ。


近頃、思う。脚本家は視聴者に消費されていくものだと。巨匠やヒットメーカーたちの作品が、だんだん通用しなくなっていくのを、たくさん見てきた。
北川悦吏子も、そうしたゾーンに入ってきたのだろう。単に新しい・古い、新鮮か・飽きられたか、等の尺度では計れないものがある気がするなぁ。


かつての傑作ドラマをCS等で観てみると、感想は様々。
今でも面白いと感じた時は、脚本家の才能の枯渇と思う。
が、今観るとつまらないと感じた時は、作品の時代性かと思う。
結局、何が原因で、かつての人気脚本家のドラマがつまらなくなったのかは分からないままだ。


北川悦吏子の作品にちぐはぐさを感じたのは、『空から降る一億の星』(2002年04月期)からだ。ビデオを2度3度見返しても発見があり、ネット上で論議することで、ようやくドラマの全貌が掴めるという意欲的な試みがなされていた。
しかし、ただ普通に1度観るだけ(しかも、他に何かやりながら)では、ストーリーが全く進展せず、退屈なだけであった。大半の視聴者は、ドラマをその程度の観方しかしていない。私もそうだ。


『オレンジデイズ』(2004年04月期)では、過去のヒット作と同程度の面白さと完成度があり、これで復活したかに思われた。
ところが、『たったひとつの恋』(2006年10月期)は、ご存知のとおりの大コケ。裏ではフジテレビが『踊る!大捜査線』の特番の再放送を3週ぐらい続けたんだっけ?
この嫌がらせで、視聴率は低迷。ドラマの内容も時代錯誤と酷評された。


で、今回の『素直になれなくて』。
主要登場人物が、過剰なまでに問題を抱えている。この設定過多は、最近の山田太一を思わせて、危うい。この枠に『不毛地帯』より疲労するドラマが来るとは思わなかった。
最初に言ったが、べつに、このストーリーにTwitterを出す必然性がないし、Twitterならではのエピソードも無い。
『電車男』が、実社会とネットとが交わることなく進んでいったのに比べると、いささか古臭い。昔の映画・ドラマのリメイクで無理やりPCやケータイを出したような、取って付けた感が否めない。


でもまあ、ドラマとしては、なかなか面白いと思う。やっぱり、シーンやセリフがうまいもんなぁ。


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