池田大作「人間革命」1 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

創価学会の名誉会長が書いた「人間革命」「新・人間革命」をもう一度読もうと決めたのが今年の1月7日のこと。
読みはじめては、置き、また読みはじめて、やめて、なんていうことを繰り返していたら、だらだらと期間が経ってしまった。

僕のこの本との向き合い方の不安定さは、そもそも創価学会という組織との向かい合い方の不安定さに基づくものであって、自分の立ち位置を決めたくて読み直そうと思っているのに、立ち位置が決まらないから読めないという、よくわからないぐるぐるぐるぐるな部分がある。
宗教って、なにか意識にものぼらないような根っこから既定してしまう部分もあるので、そのことを、半ば受け入れながら、半ば困惑しながら、相対している状態なのかもしれない。

ただ、だからこそ、僕はここを避けては通れないわけで、自分の節目の年齢の誕生月ということもあって、8月からまた読みはじめることにした。

今回は読み通すつもりでいる。
だから、今ある創価学会の組織とは無関係に、これは小説として読むということに決めた。
他の書物と同様に、むしろ相対化して読むことで見えてくるものを信じようと思う。

さて、1巻を読み終わった。

「人間革命」は戸田城聖という創価学会第2代会長となる人物の伝記小説である。
物語は1945年の終戦直前から書き起こされるが、戸田の奮闘、新生創価学会の誕生を理解する上で、日本が敗戦を迎え、国は廃墟となり、人々は混乱し、絶望に打ちひしがれている、という時代背景は重要である。

また、本書の特色として、当時の社会について丹念な記述があり、だからこそ、物語は立体的に描かれていると言っていい。
「はじめに」に「一見、仮構と思われるその先に、初めて真実の映像を刻みあげることができる」(P7)とある通り、本書はノンフィクションではない。ただ「戸田城聖先生の伝記小説」(P5)と銘打っているのだから、完全なフィクションでもない。
1巻の舞台は1945年であるが、「人間革命」の執筆は1964年であり、大幅な改訂が行われたのは2012年のことである。歴史記述については、憶測だが、専門スタッフの協力などもあるのだろう。その後公表された資料や、新しい研究成果なども取り入れながらだと思うが、大きく筆が入っている。
僕は中公新書などを読んでいるが、「人間革命」での歴史記述は、当時の理解の基礎として大いに役立っているので、人物を描く上でのその背景の記述には相当力を入れているのだろうと思う。

さて、この物語の主人公である、戸田の信念とはなんだったのか。
以下に端的に表されていると思うので、最後に記して終わりにする。
「『ところで、この世で最も忌むべきことは、誤ったことを正しいと信ずることだ。たとえ、どんなに善意に満ちていたとしても、また、どれほど努力を尽くしたとしても、そんなことには関係ない。信じたものが非合理で、誤っていた場合には、人びとは不幸を招かざるを得ないからである。個人のみならず、それを信じた集団も、社会も、国家も、全く同様である。
(中略)
 では、信じて誤たないもの、この世界で、絶対に間違いないと言い切れるもの、それはいったい、なんだろう。いくら信じ込んでも、欺かれることのないもの、なんの悔いも残らぬもの、そのようなものが、いったい、あるのかないのか……』
 戸田はそれをはっきり断言できた。
『ある!私は、それを知っている!それを日蓮大聖人は、明確に、具体的に御教示くださっている。人びとは、それを知ろうともしなかった。そして、七百年が過ぎ去ったのだ。今、さんざんな目に遭って、人類は、いずれそれを知り、信じるにいたるであろう。だが、この未曾有の敗戦の苦悩に遭い、不幸のどん底に沈んだ今、それを私一人だけが知っている』」(P133-135)