読書リハビリ中の雑感 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

全然本が読めないという期間を経て、「オデュッセウス」を毎日お風呂で10ページだけ読む、ということを続けて復調してきた経験から、他の本も10ページは頑張る、ということをやりはじめています。
読書時間をアプリで計測しているので、結果的に現状の10ページ読むのにかかる時間もわかってきました。

仕事の関係で読んでいる不正に関する本は、大判の専門書ということもあって、10ページ30分。
世界文学のリストにある、カフカの「審判」は10ページ20分。
中公新書「化石に眠るDNA」は古代の話×DNAという自分にとって興味のある分野なので、こちらは10ぺージ以上読めて、だいたい20ページ30分。
お風呂で読んでいる「オデュッセウス」は、歯を磨いたりだらだらしながら読んでいるので、計測不能だけど10ページで20分くらいかな。

僕の読書方針では、仕事の本は週に1冊くらい読みたいとか、世界文学リストは死ぬまでに読み切りたいとか、中公新書は週に1冊くらい読みたいとか、量的な目標というのは厳然とあるのね。そこから逆算していくとさ、上の順番でいくと、不正の本を読み切るのに20時間、「審判」は10時間、中公新書は7時間30分か、と、読了までの時間の方に意識が行ってしまって、くらっくらしてしまうよね。
今さらだけど、1冊の本にそんな時間かけていいものだろうか、もっと読み飛ばすような気楽さでさっさと読んでしまえばいいんじゃないかとか、最近はやりのタイムパフォーマンス(時間をかけることによる費用対効果)が悪すぎるんじゃないかと、いろいろと焦ってしまうのよね。

身の丈にあってるかどうかはわからないけど、良書を読むようには心がけているから、30分に1回くらいは、何か気づきがあったり、面白いなと思ったり、要は日常の延長にはない心が動く瞬間ていうのが必ずあるのね。
本を読んでいない時間も長かったからわかるんだけど、こういう新鮮な心の動きっていうのは、普段なかなか得られるものではなくて、単純に1日2時間も読書の時間があれば、4回その体験が日常の中で得られるわけで、それは積み重ねるととんでもない量になるというのも体験から知っているのね。

読書も軌道に乗ってきたら、たくさん読みたいし、たくさん書きたいし、という願望はあるけれど、しばらくは、この1日4回の新鮮な心の動きを得ることを目的に、コツコツ読んでいきたいと思います。焦らない焦らない。

ここで僕が愛読する「理科系の読書術」から引用します。
「そもそも本を読むプロセスとは、その九割がすでに知っていることをなぞる行為である」
本を読む効用は残りの一割を書物から拾い上げて、自分の感受性とぶつけられればそれでいいのだと確認しました。