「三国志演義」4-6終 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

第116回~第120回(P543-651終)

読みはじめは2022年7月のことであったらしい。
お風呂でコツコツ読み進めて、およそ2年の歳月をかけて読み終わった。

幼いころ、吉川英治を通じて読んだ三国志だったが、今回はじめて読む種本の「三国志演義」には、ほとんど幻滅に近い感想しか抱けなかった。
三国の英雄退場後の物語はさらに顕著に、断片的で、場当たり的で、物語作者も結末に向けて惰性で書いているようにしか思えなかった。

「三国志演義」を何のために読むのかという動機を思い返すと、途中からは面白いから読むのではなくて、この大作を読み切るチャンスは今しかないという思いと、疲れ果ててお風呂に入りながら、ぼーっとした頭で読むにはちょうどよかったという極めて消極的な理由による。
それでも「これ(晋の太康元年。(西暦)280(年))以降、三国はすべて晋の皇帝司馬炎の手に帰し、天下は一つの王朝のもとに統一された」(P646)という一文を読んだときは、読み切ったという感動に震えたものである。

「三国志演義」が三国の歴史を、物語としてうまくすくいあげられていなかったとしても、物語の土台になった陳寿の「三国志」、その舞台となった三国のスケールの大きな歴史のうねりに身をゆだねる心地よさがあったからこそ、最後まで読めたのだと思う。