「三国志演義」3ー5 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

第81回~第85回(P434-537)

印象的だったのは、劉備が最後までピエロとしての役割を演じきったこと。
僕が子供の頃に読んだ、徳の人、劉備というのは、物語上の虚構に過ぎなかった。
吉川三国志と三国志演義の違いはあるかもしれないが、本質的には同じことだろう。

だから、劉備の行動はものすごくよれる。
実際の歴史の進行とどの程度リンクしているのか、もう全然わからないけれど、無理にねじこんだところが雑に歪んでいる。
「三国志演義」は複数いる物語作者の作品を編集したものなのだろう。
物語の箇所によって個性がでるのは、もはや「三国志演義」の味にすら感じるが、一人の英雄の生涯を振り返った時に、物語世界に入り込めないちぐはぐな気分はある。

また、久しぶりに登場してきたもう一人の主人公格の諸葛亮。
彼も、神のような智謀を強調するあまり、もうなにかよくわからないような仙術を使ったりして、苦笑いの対象だ。

子どもの頃は、劉備、関羽、張飛、そして諸葛亮は、あこがれのスーパーヒーローだった。
しかし、今回の読書においては、関羽、張飛はともかく、物語を動かしているように見える、劉備、諸葛亮は物語世界の不協和音でしかない。

大人になるってこういうことなんだろう、と、少し寂しい気持ちもあるけれど、それはもうしかたがないこと。