第81回~第85回(P434-537)
印象的だったのは、劉備が最後までピエロとしての役割を演じきったこと。
僕が子供の頃に読んだ、徳の人、劉備というのは、物語上の虚構に過ぎなかった。
吉川三国志と三国志演義の違いはあるかもしれないが、本質的には同じことだろう。
だから、劉備の行動はものすごくよれる。
実際の歴史の進行とどの程度リンクしているのか、もう全然わからないけれど、無理にねじこんだところが雑に歪んでいる。
「三国志演義」は複数いる物語作者の作品を編集したものなのだろう。
物語の箇所によって個性がでるのは、もはや「三国志演義」の味にすら感じるが、一人の英雄の生涯を振り返った時に、物語世界に入り込めないちぐはぐな気分はある。
また、久しぶりに登場してきたもう一人の主人公格の諸葛亮。
彼も、神のような智謀を強調するあまり、もうなにかよくわからないような仙術を使ったりして、苦笑いの対象だ。
子どもの頃は、劉備、関羽、張飛、そして諸葛亮は、あこがれのスーパーヒーローだった。
しかし、今回の読書においては、関羽、張飛はともかく、物語を動かしているように見える、劉備、諸葛亮は物語世界の不協和音でしかない。
大人になるってこういうことなんだろう、と、少し寂しい気持ちもあるけれど、それはもうしかたがないこと。