「三国志演義」3-3 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

第71回~第75回(P243-339)

おじさんのそんな事情だれも興味がないと思うけれど、お風呂は貴重な読書タイム。
4月に引っ越して環境が変わったこともあって、お風呂読書は別のものを読んできたけれど、久しぶりに「三国志演義」に戻ってきた。
きっかけはいつだって気まぐれ。

おさらいをすると「三国志演義」のここまでの感想は、ストーリーがチープでペラッペラやなというもの。
先は長いけれど、憧れの三国志の原典だし、せっかく途中まで読んだのだから、最後まで一度読み通すことは大事やろうな、という極めて後ろ向きな理由で読書を再開した。

ま、久しぶりにこの世界に戻ってきたこともあるからか、思ったより面白く読めた。
あと、今まで荒唐無稽なエピソードに彩られていたがゆえに軽さを感じていたが、曹操、劉備、孫権が激突する、まさに三国の史(志)になったことで、物語の密度が濃くなっている。
他の作家が愛してやまず、翻案作品が多く出るのもわかる魅力はあるけれど、そのままでは現代にも通用する古典にはなれないと思う。
それでも物語として読めるものになってきたと思う。

物語は、国盗りの面白さもあり、おそらく実在の人物の活躍が史実でも見える部分でもあるため、著者(編者)は、腰をすえて、物語を編むことができたのだと思う。
関羽に人物としての命が吹き込まれているのを感じるのも、そういうことなのだろう。

お風呂読書なので、飽きたら中断することもおそれず、一日の疲れを洗い流すような軽い気持ちで最後まで読んでいけたらと思っている。