変異ウイルスとの闘い
――コロナ治療薬とワクチン
変異し続けるコロナウイルスとの闘いの中で、いかに人類はワクチンを開発し、治療薬を作ってきたか、というのが本書のテーマ。
著者は岐阜大学の学長も務め、感染症に伝統のある研究所で長年研究もしてきたそうだが、専門はがん細胞の研究だそうである。
そのため、本書の執筆にあたっては、多くの専門家からの「共著書といってもよいほど貢献していただ」(P251)いたそうだ。
それだけに、本書のテーマにそって、第1章のウイルスの説明、第2章から第5章までのワクチン開発をめぐる様々な物語、第6章の治療薬への期待へと、手際よくまとめられている。
2022年5月刊行という、まだ事態が鎮静化する前の本であることも考えると、時代と並走した新書らしいよい本だと思う。
特にワクチン開発のところは、読み物としても非常に優れている。
「ワクチン開発には時間がかかる。これまでのワクチンは一番早くて10年かかっている」(P37)というのが今までの常識であり「パンデミックの当初、WHOのテドロス事務局長さえも、ワクチンは間に合わないのではないかという悲観論を述べたほどであった」(P39)しかし「これまで成功したことのなかったmRNAワクチンがわずか10ヵ月で完成した」(P39)というワクチン開発事情の裏にはたくさんの物語がある。
日本のワクチンはなぜ遅れたのか、というテーマの章もあり、著者はいろいろと考察しているが、逆に言うとこの状況下でワクチンを短期に開発してしまったメガファーマのファイザーや、ベンチャーに近いモデルナなどの功績をほめたたえるべきであろう。世界の人びとの叡智の結集があって、僕たちにワクチンを届けられたというドラマに感謝したい。
また、今度は実際にコロナウイルスに感染してしまった人への治療薬の話しも興味深い。
結論から先に言うと、咳をするくらいで目立った呼吸症状がない感染の初期、軽症のときは、モノクローナル抗体、経口薬が効く。そして高熱が出て、息が切れるようになる、肺炎の兆候がでる中等症以上に進むと、より強力なレムデシビルとデキサメタゾンの出番となる。そして患者自身の力で十分な酸素を肺に送れなくなると、人工呼吸器、人工の肺であるエクモを使うことになる。また、炎症を制御できないサイトカイン・ストームに対しては、サイトカインを抑える薬が必要となる。
いずれにしても「わずか2年の間に、COVIDの進行に応じて使える薬がそろってきた。ワクチンをすり抜けて感染したとしても、99%の人は何とか助けられるようになった」(P163)という治療薬の開発の話しも詳述される。
マサチューセッツ・バイオテックが開発したCOVIDの薬を探索するソフトの一つは「140億の化合物を数時間内にスクリーニング」(P170)し、ほかのソフトは「ウイルス阻害剤を設計する」(P170)という。この「2つのソフトにより、239の化合物がCOVID治療薬の候補に挙げられた」(P170)などは1つのエピソードに過ぎないが、途方もないAIの進化を実感することもできる。
さて。
ウイルスをめぐるワクチンと治療薬開発の話しはとてもいいのだが、ここからはあまりよくないことを書く。
著者は医学の専門家であり、専門的知見も備えていると思われる。
ただ、御年85歳という高齢もあると思うが、ワクチン行政をめぐる政府の対応や、日本が諸外国に遅れをとったことに強い憤りもお持ちのようで、私見として様々なことを述べている。
それこそ僕の感想で申し訳ないが、現役時代はバリバリで、一家言を持って引退した老人が、テレビの前でぶつぶつ言っているのとそんなに変わらないような印象があった。いいことも言っているんだけど、わざわざ本を読んでまで拝聴に値するものではないなあと。しかしこの政治的私見のようなものが本書のあちこちで顔を出すし、本書のまとめは章を割いて自分の意見を言っているのでとてもノイジーで耳障りだった。
この時期にオリンピックを強行したことに疑問があったと批判する論調の結論のところで「オリンピックには反対ではあったが、正直なところ、始まるとテレビで十分に楽しんだ」(P36)と言い放つあたり、こういうこと書き残しておく必要ありますかね?中公新書さん、という気分になった。
とはいえ、総じていえば非常に得るものの多い1冊であったと思う。
医療逼迫の現場からは、感染症専用の病室を持つ荏原病院の大森亨呼吸器内科部長による「日誌風にまとめ」(P207)られた手記も、日誌風の風ってなんだい、と苦笑しながら読み始めたが、これはこれで現場の空気が伝わってきてよかった。
様々な専門分野の人から得た情報を元に完成された本書は、長年実務に携わり培ってきた著者の様々な領域の人とのコネクションがあったからこそ実現できたものなのかもしれないなと思った。
この大騒動の渦中にあるからこそ、断片的なマスコミ等の情報を受け身に得るのではなく、裏付けのある情報を一連の流れとして整理するのに大変有益であった。