古田亮「横山大観」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

横山大観
――近代と対峙した日本画の巨人


横山大観は明治・大正・昭和と活躍した、日本の画家である。
名前自体は聞いたことあるかな、ないかな程度だったが、カラー写真が掲載されている多くの作品の中で、何点か見たことのあるものがあったので、有名な画家なのだとわかる。


本書は、その大観の生まれから、最晩年までの評伝である。


前半は、絵描きの一生というのは、そこそこ有名になったあとでも大変なんだなと平凡な感想をいだいた。また、一人の画家でも、創意工夫を重ねていくうちに作品の印象が変わっていくのは面白かった。
しかし、最も辟易したのは、掲載されている作品(有名なものであっても)を見ても、いまいち作品の魅力が伝わってこないのだ。
大観の作品というのは、屏風画のような大きなものもあり、とても新書サイズの紹介では作品の迫力が伝わってこないというのもあると思う。しかしである。一枚の絵を見るのに、そんなに小うるさい評を入れないとその魅力は伝わらないものなのか、絵の価値は、絵そのものから出発する必要があるのではないかと思いながら読んでいたのである。
実は、これは僕の読み方が間違えていた。
本書は、作品の素晴らしさを語るのがテーマではなく、実際に遺された作品から、画家大観に迫るのがそのテーマだからである。
横山大観という人を知らないし、絵を評価する自分の審美眼のなさを自覚するがゆえの、いびつな読み方になってしまった。


ともあれ、慶応が明治に改元する直前に生まれた大観は、大正末期を50歳代で迎える。
水戸藩生まれの大観にとって、水戸学の流れを汲んだ皇国思想は、そのまま大観の思想でもあった。
天皇を中心とした挙国一致体制のもと、大観は、彩管報国として、積極的に皇室のための制作を行っていく。
大観はなんと、その際の収益金を軍に寄贈し、「大観号」なる軍用機四機が製造されたといい、その国粋主義的な態度から、戦後は戦犯にされそうになったこともある、そういう画家でもある。
しかし、その頃、皇室のために、国家のために、という意欲と、まさに技術的には円熟期を迎えていたことが重なり、掲載されているこのころの作品は、僕でも理解できるほど印象の強い多くの名作が残されている。
「生々流転」(1923年・大正12)(P140)、「夜桜」(1929年・昭和4)(P148)、「紅葉」(1931年・昭和6)(P156)、「秩父霊峰春暁」(1928年・昭和3)(P164)、「海に因む十題 波騒ぐ」(1940年・昭和15)(P165)、「正気放光」(1944年・昭和19)(P177)
など、これは、一度は実物の大きさで見なければなるまいと思わされる作品ぞろいであったため、メモのためにここに記載する。


日本は戦争に負けた。
だから、あの時代の戦争に加担したものはすべて悪である、そういう考えもあろう。
しかし、大観の絵画は、あの時代の国威発揚という熱狂の中で完成したという側面もあるはずだ。
時代を越えて心に響く作品を見ているとそういう感想を抱かざるを得ない。
後半は、素晴らしい作品が目の前にあるのに、文章がごちゃごちゃとうるさいといらだつほどだった。(本書は絵の紹介ではなく、大観に迫るのがテーマなので、そう読むべきだったのだけど、というのはさっき書いた)


しかし、芸術の評価というのは難しいものである。
芸術というのは、それまでの常識を突き破るような斬新な発想、というようなものを評価し、陳腐であることを嫌うようだ。
ただ、それは、それまでの一連の流れ、というものが根底にあって、一枚の絵を単体で切り抜いたときの印象に、専門家の評価って必要ですか、と言いたくもなった。
でも、専門家の評価も、言われてみればそういうもののような気もするし、一枚の絵をパッと見て、この絵は素晴らしい作品であると言い切るのは、なかなか難しいことであるなあとも感じた。


読書と同じように、一流の作品を見続けることで、自分の感性を磨いていくしかないのかもしれないなというようなことを、本書のテーマとは全然関係ないが、この記事を書きながら考えている。



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