P201-300
ストーリーはゆるやかに二転三転。
「いいなづけ」も中盤の坂を越え、いよいよ面白くなってきたところだ。
弱き善人は、たやすく悪へと転じ、強き悪人は、神の偉大な御手によって、善き道へと引き戻される。
一瞬の縁に触れて、心はくるくると変幻する。
どんな人だって、天使にも悪魔にもなる。それが人の、哀しい真実なのであろう。
含蓄のある言葉だと思う一言を書き抜きたい。
あるとんでもない悪党が、使用人の老婆に対し、ある人を励ましてやれと言った。
老婆は、どうやって励ませばいいんです?と聞き返す。
そこで、悪党は次のように言う。
「元気をつけてやれ、と言ったではないか。まさかお前はその年になるまで、いざという時どうやって人を元気づけるかも知らずに年を喰ったのでもあるまい?お前も心に悩みを持ったことはあるだろう?恐ろしさに怯えたこともあるだろう?そうした時にどんな言葉掛ければよいか知らないわけではあるまい?そうした言葉を言ってやれ。馬鹿め、自分で探すがいい」(P231)
年を取るということは、一通り経験するということでもある。
経験を積んだからこそ発揮できる力がある。
いろんな失敗を積み重ねたからこそ、見えてくるものもあるということを、悪党に教えられる。