オースティン「自負と偏見」ー1 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

P1-100


ほとんどこの作品については、前情報なしに、ある意味衝動的に1ページ目を開いたわけであるが、こんなに面白い小説読んだことないわという衝撃が走った。
母親が、人前で恥ずかしくなるようなことを言っている時のあのいたたまれない感じとか、見かけは上品で丁重な女性から透けて見える腹黒さに対する憤りとか。
その場に自分がいて、その微妙な感情を自分を通して再生される感覚だった。
僕は、本を読んでいて、声にならないような、驚きとか、感嘆とか、そういうのが湧いてきた時に、身をくねらせるというくせのようなものがあるらしいのだけど、この作品を読んでいてこれ以上は体が曲がりませんという可動域いっぱいまで身をのけぞらせたことが何度あったことか。


少しだけ内容に踏み込むが。
家柄とか、収入とか、またその地位に見合う教養というものが重んじられる社会にあって、はつらつとした知性あふれる女性がこの作品の主人公である。
現代の読者のみならず、当時の読者にしても、やはりこの主人公の女性は魅力的に写るのだろう。
人間的で美しい。
しかし、物語の中で、彼女の魅力は凡庸な社会から理解されないことがあり、ともすると疎んじられてしまうようである。
「虚栄と自負心とは別物よ、よく同じように使われるけど、自負心があるからって、虚栄とはかぎらないわ。つまり自負心てのはね、どちらかといえばみずからを強くたのむことよ。それに対して虚栄というのはね、他人からこう思われたい、ああ思われたいという気持なのよ」(P31)


主人公の女性のように、聡明で優れていても、社会から受け入れられるかどうかはわからないものである。
そんな彼女の自分らしさ、けなげな生き方を見ていると、社会的評価なんて、その人物を測るものさしにはならないし、たとえ社会から拒絶されたとしても、そんなことと自分の価値は無関係な場合もあるんだろうと思うと、なんだか救われるような気がした。
小説を読んでいて救われるような気分になることだって、おそらくはじめてのことだと思う。


全体のまだまだ序盤である。
本当に続きを読むのが楽しみ。