「ロビンソン・クルーソー」をめでたく読了した。
実は下巻は評判が悪い。
確かに奇抜な冒険物語としては上巻の方がインパクトが強いかもしれない。
しかし、作者の制作意図を考えれば、下巻も読みごたえがあって面白かった。
個人的にはテーマが違うこともあり、甲乙つけがたいと思っている。
1000ページを越える長編を読み終わった印象としていいなと思ったのは、作者の意図はともかくとして、この本が執筆された18世紀のヨーロッパの空気を感じさせることだと思う。
物語の進展が乏しい長編作品は、退屈で読みにくいということもあるが、ひとところにとどまっているがゆえに感じられる空気感というものがある。
世界は狭くなったので、旅行という手段はそれなりに発達してきたけれども、現地で生活をするというのは現実の生活もあってなかなか難しいことだと思う。読書の世界は、その場所で生活することを可能にする。
何年も生活しないと見えないことを、著者の肌触りを通じて感じることができる。
国内旅行すらしない僕が何を言っているんだ、という気持ちも多少はあるけれど。
社会、生活、宗教、国家、民族、思想、幸福、哲学、外交、戦争など、この物語には、問いかけられるものがたくさんある。
描写が豊かで、その情景が目に浮かぶから、自分ならどうするだろう、この場合はどうなのだろうと。
その答えは、この作品からは必ずしも見いだせなかったけれども、人間の根幹に根差すテーマだからこそ、その意識は現代でも共有できる。
たかだか300年とはいえ、世界は大きく変貌を遂げているが、その見た目に触れないところで、変わらないもの、変わったもの、いろんな思索の刺激になった。
少し話が変わるが「ロビンソン・クルーソー」の作中に「モガル大帝」に言及する箇所がある。
モガル大帝は「死ぬまでに読みたい本リスト
」8冊目の「バーブル・ナーマ」の作者バーブルの子孫であって、こんなところで会えてうれしく思った。
今まで古典文学をリストの順に読んでいたのだが、前の本と次の本で100年とか期間があくのが普通だったから、本と本のつながりも、どちらかといえば精神的なものばかりだったけれど、そろそろ現代から300年前になり、作品点数も多くなってきたので、年代的にもつながっていくし、大航海時代を経て世界は狭くなっているし。
そういうつながり方が濃密になると、ますます古典文学めぐりが楽しくなってくる予感がしている。