鉄は熱いうちに打つべきだし本の感想は熱いうちに書くべき | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。


このところ、諸般の事情により、まだ感想を書いていない本の感想を書いては記事にしている。
感想を書いていなかった理由は細かく言えば様々あるが、結論すると、読み終わった直後に抱いた熱量を持った感想をそのまま文章に書くのは大変なことだということだと思う。そして、熱冷めて後、感想に書く機会を逸してしまっていた。


今は、読み終わった時に、どれだけ熱い気持ちになって、その感情を持て余したとしても、遅くとも翌日までには記事としてブログに載せることにしている。更新頻度があがって、読んだそばから記事にしていかなくては仕方がないというルール上の制約もあるが、より本質的に言えば、それ以上時が経ってしまうと、読んだ内容を思い出せなくなってしまうし、感想が変質する可能性もあった。それが思想的深化を伴った昇華であればいいのだけれども、どうも記憶があやふやになって雑なものになる傾向があるようだったので、感想は早めに書くようにした。


僕は、読書メーターという読書支援サイトに登録していて、本を読み終わったら、ほぼその瞬間に感想をあげることにしている。読書メーターの感想欄は文字制限がきついために、満足な感想も書けないのだが、それだけに、直感的なその瞬間の気分を書くことができて、それはそれで意味のあることだと思っている。
ブログの記事を書くときは、読書メーターに登録した自分の感想を参考にして、展開したり、批判したりをしながら記事を書いている。


本を読んだ感想を、読んだ直後に書くのは難しい。
この気持ちの高ぶりを文章として、感想として表現したいのに、自分で書いたものと、おそらく書きたかったこととの隔たりが大きくて、いやになってしまうのだろう。
ただ、この感情を思いのままに表現し綴ることができるのなら、僕は作家になれるような気がするから、書きたかったものと、書かれたものにギャップがあるのは当然である。そのようなことにおそれを抱かずに、読後感という熱い素材に手をやけどしながら、文章という鋳型に押しこんで行くうちに、いずれ文章がうまくなっていけばいいなと思うし、うまくなっていかなくても、それでもいいと思う。


感情というものは一瞬で過ぎ去っていくものだし、保持できない。
3日後、あの本を読んだ感想を求められても、その時の感情を蘇らせることはおそらくできないだろう。
けれど、文章として形にしたものは、自分の中に残る。後で読み返した時に思い出せることもあるし、文章にするという格闘の傷跡が、自分の血肉として蓄積していくからであろうか。