書き抜きの効用 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。


毎日「新・人間革命」から感銘を受けた一節を書き抜きして、ひとこと書かせていただいている。
これは文庫本をひざの上に載せて、閉じないようにしながら、カタカタとキーボードをたたくという割と地道な作業。
もしかして、電子書籍などなら、コピペなどできるのかもしれないし、それも時間短縮ができていいのかもしれないし、実際打ち込みはちょっと面倒くさいとも思う。


キー入力は早い方なので、時間的にはそんなに負担でもない。むしろ昔ノートに書いていた時は3行4行書き写すのも大変だったので、それに比べればずいぶん便利な世の中になったものだとは思うけれど。でも、この「手間」っていうのが結構必要なハードルだったりするんだなと思う。


もし、電子書籍などでコピペが可能になれば(コピーガードがあるんだとは思うけど)、それこそいくらでも書き抜き可能になる。
極端に言えば、読まなくても「すべて選択」「コピー」「貼りつけ」で、1巻まるまる数十秒で書き抜き(もはやそれは書き抜きではないだろうが)できる。
今は手で打ち込んでるので、文庫1ページ打ち込むのに、打ち込んで、見直して誤字脱字がないか見る、という作業だけでも5分以上はかかるし、けっこうな集中力を要する。
僕も老いて来たので、深夜パソコンに向かっても字がうまく見えない時もあって、なかなか大変だ。
でも、それだからこそ、他にもたくさんある書き留めておきたい文章の中から、どうしてもこの言葉だけは自分の中に留めておきたい、ブログを読んでいただいている方にも紹介したい、という涙の選択ができるのであって、その時に自分の中に残るのかなと思っている。
実際、打ち込みの段階では、指がサラサラと行う作業になっているから、この時にはあまり文章が頭に入っていかないような気がする。効果がないわけではないと思うけれど。


創価学会では、池田先生は僕らの師匠であるし、「新・人間革命」は会員が学ぶべき中核の書物であるので、幹部の方はそこから引用されることも多い。
その時に紹介された話しを聞いて、「あ、そこ、僕もここで書き抜きしたな。そうそう。そこなんだよね。そこで感銘うけたよね」って共感できるとすごくうれしい気持ちになる。
ただ読んでいただけではぼんやりしていた印象も、書くことで自分の意思が加わって明確な印象になる。


つたないブログを読んでくださる方に励みを受けながら、ありがたくブログを書いております。
ありがとうございます。