「三国志」(宮城谷昌光)2-1 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。


P1-119


梁冀という中国史に残る悪人の時代。
質帝を毒殺し、皇室をないがしろにし、法を枉げ、己の欲望のためだけに行動する梁冀。
正義の人が咎もなく殺され、言論を封殺し、富貴の人から財産を没収し、暗黒時代を現出した怪物である。
読んでいるだけで、胸が張り裂けそうに苦しかった。


後漢王朝で、宦官は三度立ち上がる。
宦官は皇帝の私臣なので、皇帝がないがしろにされれば立ち上がるのである。
しかし、宦官は政治能力を持たないために、宦官の世が到来すれば、百官の不満がたまる。
そして、外戚の台頭が期待されていくのである。
順帝の時のように、皇帝に能力があれば、その治世はうまく行くのであるが、人の一生は短いようで長い。
生涯を通じて、皇帝が外戚と宦官のバランスをとりながら行う政治というものは、それ自体が困難であり、矛盾のように思った。


梁冀が権力の階を上りつめていくに際し、著者はいう。
「世のふしぎさのひとつに、権力が増大するほど人の声が聴こえなくなるということがある。ゆえに権力者は人の数倍の努力をして人の声を聴かなければ、正常な規矩(きく)を失って、幻想や妄想の尺度をもって未来をはかるようになる」(P60)


また、崔寔という学者が言った。
少し長いが感銘を受けたので引用する。古代中国というのは、壮大な一つの実験場だったのではと思えるほど、言葉に深さがある。
「悪いのは、世間が困難のない良い時代を受け継ぎ、政治が徐々に衰えても改めようとせず、風俗がしだいに悪化しても悟らず、混乱になれて危険に安住して、いつのまにか自覚しなくなったところにある(中略)世を救う術についていえば、どうして帝堯や帝舜という太古のやりかたを心にとめて守って政治をおこなう必要があろうか。絶え破れたものをおぎないつくろうことや曲がり傾いたものを支え助けることにおいては、その煩い惑う部分を取り去ることを期待するしかない。それゆえ天命を受けた君主は、制度を創り、物事を改め、中興を中心となっておこなう人は、時代の弊害を匡(ただ)して失当をおぎなうのである(中略)国事について意見をいう者は、その意見が天子の耳に達して天子の意中に合うものであり、すぐに採用されてよいものであっても、古いことに遵由(じゅんゆう)している人にひきとめられたり足をひっぱられてしまう。なぜなら、かたくなで利をむさぼる人は、時に応じて権(はか)るということに闇(くら)く、そのことに明るい者は、勝負に弱いからである(中略)すこやかであればふつうの養生をすればよいし、疾(やまい)になれば患部を治療すればよい。それゆえ徳教は治世の梁肉(良い米と肉)であり、刑法は救乱の薬石(薬と針)である。今、徳をもって禍いの源をとりのぞこうとするのは、梁肉をもって疾を治そうとするようなものである。治療して平癒を欲しても、できるはずがないではないか」(P102-104)


ちょっと引用が長すぎたかも。
むむむ、と思ったので。


ついに、曹操と孫堅がでてきた。
と言っても、産まれたという記述がでてきたばかりだが。
黄巾の乱まであと25年。
面白いけれど。


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