私はおり符に対して絶大な信頼があります。それは信は力なりということもそうですが
神さまが符に降りて力を発揮してくれるからです。
私は霊符や巫術の研究をしてきて最終的にたどりついたのが「おり符」です。
色々な方法を試してきてたどりついたのが「おり符」でした。
なぜならば人生はいろいろなことがあり学び続けないと効力がないわけですが
降り符に関しては所持するだけで済むわけです。
無論願いも段階的であり最終的なものにたどり着くまでには階梯があります。
それを抜いたとしても実現率が高いわけです。
殆どの人が氣について知っていても理解したり体感したりはしていないのです。
多分半数以下だと思います。自分の気がどうなってるか?など興味も関心もないのです。
ですが風水という言葉や氣という言葉は知っています。多分その程度なのです。
ですがそれにより叶う人と叶わない人がいます。そして、叶う人はそのことを知っていたり
知らなくても使っていたりします。
そのほとんどが「氣」であり元々でいうと「玄氣」なのです。これは物事を実現させる
元になっているものでありこれが多いか少ないかで人生が大きく変わるのです。
運がいい人はこの氣が旺盛であり常に動いています。運が悪い人は気虚であり氣が足らないのです。
それを補氣するのがほとんどなのです。風水でも気功でも修行もそうですがこの気を「補氣」する
あるいは「整える」ことなのです。
喜楽の会の氣=源氣もそうです。この氣も元の元の氣であるわけです。
私の謹製している降り符と喜楽の会の氣は出力は違えど同じものとみております
★喜三郎先生は莫大な源氣を出しています(*´▽`*)
恋愛や人脈などもすべてこの氣が使われます。
そおうそもそも万物を動かう氣、すべてを化成している氣だからです。
多くの人は知らないし氣に求めないわけです。
それが「降り符」にはあるのです
人を幸せにしているのはその氣でもあるのです。
そのために氣をと唱えることが補氣することがあるわけです。