Blog (since2012/01/07 - (13))

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日々の気づきの記録です。

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ことばさがし

『大人は、言必ずしも信ならず。
行い必ずしも果ならず。惟だ義の在る所のままなり』

訳:大人は、必ずしもそのことばどおりの行ないをしない。
また、必ずしも行ないを果たしもしない。
ただ、めざすところは義であるから、常に、義にかなうように
行動する。ことばに信義を守り、行ないは果たすべきものであるが、
いわゆる「大人は時に中す」で、
時宜にかなう権の道を知らなければならぬ。

(中国古典名言事典 孟子)


ことばや行ないは、大切なこと
(これは信条ともいえるかもしれませんが、)
を実現するための手段なので、

表向きは言動が一致しないように見える
のかもしれません。


要は、何を大切にするか?
なのだと思います。


ことばさがし

『人の不善を言わば、当に後患(こうかん)を如何にすべき』

訳:世の中には人の不善をとりたてていうものがある。
それらの人はあとでこうむる災いをどうするつもりか。
悪口はいうべきではない。いえば必ず怨まれ
災患が自分にはね返ってくる。

(中国古典名言事典 孟子)

口は災いのもと。

人の悪口をいえば、あとで必ず自分に返ってくるもの
だと思います。

昔からいわれていたことであれば、
やはり真実なのだといえます。

ですので、悪口は決して言わないこと。

このことを心がけておきたいです。
ことばさがし

『為さざるある、しかる後以て為すあるべし』

訳:してはいけないことは断乎としてしない。
そういう流俗におもねらない、義に強い人にして
はじめて大事をなすことができる。

(中国古典名言事典 孟子)


してはいけないことはしない。

そういうことをしっかり守れることが、
まずは大切なのだと思います。
ことばさがし

『其の言を易くするは、責めなきのみ』

軽々しくことばを発するのは、
結局、そのことばに対しての責任を
考えないからだ。

(中国古典名言事典 孟子)


言葉に対して責任を持つのであれば、
よく考えて発言することが大切というもの。


責任がある立場の人であれば、その言葉に
責任を持つべきですから、

発言は慎重にすべきだと
思います。
ことばさがし

『父子の間は善を責めず』

訳:父子の間では、善をなせよと責め合うべき
ものではない。というのは、それは朋友間でこそ
互いに行なうべきもので、父と子の間でそれをなせば、
親愛の情が失われて、父と子を引き離すもとになる。
父と子が離間するほど不幸なことはない。

(中国古典名言事典 孟子)


「善をなせ」

というのは、自分の仲間や同じような人が集まっている
コミュニティーで行うことであるというもの。

これは、他のことに関しても、
切磋琢磨したり、お互いの足りないところを指摘
しあったりするのは、そういう属性のフィールドで
すべきであり、親子の間ではしない方が
いいということ。


「善い・悪い」

というものさしだけで図れないものが親子の間には
あるから、気持ち、心の部分をもっと大切にして
接しようということだと思います。
ことばさがし

『其の言を聴きて、其の眸子を観れば、人焉んぞかくさんや』

訳:その人のことばを聞き、ついでその人のひとみを見れば、
相手の人のすべてはわかってしまう。
相手の人もどうして自分をかくすことができようか。

(中国古典名言事典 孟子)


その人のひとみをみて、言葉を聞けば、
その人がわかってしまうというもの。


「人の話は目を見て聞け」

と言われたものです。


それは、きっとこのことを意味しているのだと
改めて思いました。
ことばさがし

『人に存する者は、眸子(ぼうし)より良きはなし』

訳:人がもっている目鼻口耳などのうちで、
眸子すなわち、ひとみほどその人物をあらわすものはない。
そのひとみを見れば、たいていその人柄、その思惑がわかる。

(中国古典名言事典 孟子)


これは、

「目は口程にものを言う」

ということだと思います。


おおげさにいえば、きっと眸は
その人の人格や生き方があらわれると
いえるのではないでしょうか。


恥ずかしくない眸を持ちたいものです。
ことばさがし

『至誠にして動かさざる者は、未だ之れあらざるなり。』

訳:至誠をもってして、人を感動させないということはない。
至誠は鬼神をも動かす。

(中国古典名言事典 孟子)


相手に対して真心をもって向かい合うこと。
そうすれば、その気持ちが通じて人は動いてくれる
というもの。


つきつめていけば、自分がどれだけ誠意をもって
取り組むことができるかが大切だといえるのでは
ないでしょうか。


何かをしようとしたとき、
自分が誠実に向かい合っていれば
誰かがきっとその姿を見ていて、
手を差し伸べてくれることもあると
思います。



ですが、決して誰かが助けてくれることを
期待して取り組むという姿勢は持つべきでは
ないといえます。


なぜなら、
その気持ちがあると、すべての言動が見返りを求める
ものとなり、誠実とはいえないと思います。


何かに取り組むときは、
人がどうしてくれるかを考えずに、
まずはそのことに対して誠意をもって向かい合うこと。


そのことだけを考えてやっていけるように、
ありたいものです。
ことばさがし

『誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。』

訳:万物にあまねく、古今につらぬいている誠、
それが天の道である。この天の誠に背かないように
つとめるのが人間の道である。

(中国古典名言事典 孟子)


天に対して誠実で嘘偽りのないこと。

これが昔からの人の道ということだと
思います。


ともすれば、いろんなことに対して
人は嘘をついたり偽ったりしてしまいがちです。
(少なくとも私にはそういうところがあります)


ですが、そういう場面に直面した時こそ
そこから逃げずに向かい合うことが大切だと
いえるのではないでしょうか。


毎回そういうことができるかと言われれば、
胸を張って言い切れるだけのものは、今の自分は
持ち合わせていません。


ですが、今後、そういう場面に出くわしたときは、
まっすぐ立ち向かえるよう、自分に言い聞かせたいです。
ことばさがし

『事は易きに在り。しかるに諸れを難きに求む。』

訳:道徳上の仕事は人情にもとづくきわめて平易なもの
であるのに、人やややもすれば特別むつかしい理屈の中に
これを求めようとする。だがそれは誤りである。

(中国古典名言事典 孟子)


道徳というと、難しい特別なものと感じますが、
実はそうではなく、人の情という、おそらく誰もが
持ち合わせているものの中にあるというもの。


このほかにも、仁・恕・義・礼なども、特別なものの
ように思い、別次元のもののように感じますが、

まずは自分の身近なところから見つめなおし、
小さなところから積み重ねていく。


特別に感じることでも、まずは身近なところから
取り組んでいくことが大切だといえるのではない
でしょうか。