「今日は工作をしたんだ~」
むーちゃんが夕食時に言う。
五月の節句が近づいている頃だ。
鯉のぼりを作ったらしい。
「誰と一緒に作ったの?」
「ひとりで」
マヨの問いに、あっけらかんと答える。
他の子はお友達と作ってるのに、むーちゃんだけが一人だったらしい。
口調には陰がないから大した事ではないのだろう。
でもボクの脳裏には、↑のようなさびしい映像が浮かんだ。
そして、その想像はまたしばらくの間ボクを苦しめた。
同じマンション同士のグループもないむーちゃん。
仲良くなる「きっかけ」や結びつける「理由」さえない。
幼稚園の最初には、「お友達になってくれる?」なんて漏らした初対面の子に、「同じ幼稚園なんだからもうお友達だよ!」と、優しくも余裕のある言葉をかけていたのに、気が付けば誰よりも孤独である。
いや…自分が疎まれている事に気づいていない節がある、とのマヨの言葉を信じるなら、つらいのはむーちゃんよりむしろそれを見ているマヨだったろう。
幼稚園に迎えに行くと、いつも泣いているというむーちゃん。
そして諍いの要因はむーちゃんであり、マヨが皆の親に毎日のように頭を下げる。
振り返ればボク自身、決して友達の多い方ではなかった。
小学校の友達はもう名前を思い出せる奴はいないし、幼稚園など友達がいかたどうかも覚えていない。
きちんと「友人」と呼べるものができたのは中学以降だ。
でもそれがボクにとって不幸だったかと言われるとそうではない。
一人でぼーっとしているのが好きな子供だったからだ。
小学校のうちはほとんど一人で過ごしていた。
だからむーちゃんにとってもそうである可能性はあるのだが…不思議と親というものは、自分の子供に「たくさんの友達」がいてほしいと期待してしまうものらしい。
「いいところだってあるんだよ」
誰にともなく小さくつぶやく。
友達になってくれとは言わないが、せめて疎まないでほしい。
虚空を見つめながら何度も思った。
<続く>
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