「おい、お前アン・ユウリィの娘なんだってな」
「へ?」
いきなり後ろに待機している兵士に声をかけられた。
s2ヘルメットに顔が隠れてよく見えない。
「お母さんの名前を知っているの?」
「ああ」
「アン・ユウリィ女史はネットの世界じゃ有名だぜ」
「世界を変えたんだ」
「?」
最前線、ショウユサシ。
塹壕の中ですし詰め状態で待機している兵士数人は、汗だくで疲弊している。
戦争とは消耗戦だ、勝てば官軍らしいが。勝つまでがいばらの道のり。勝てば英雄、負ければ悪党だ。
s2ヘルメットに隠れて、アニタの顔がよく見えない。
伸びてきた黒髪のポニーテールは、枝毛が目立つ。装飾品の髪留めが、緑色に光っている。
顔が酷くすす汚れて、もう何日もシャワーを浴びていない。
右手に抱えたアサルトライフルの501式が鈍く光る。手入れが行き届いて、油をさしてあるから。
人を殺す準備はできているんだな。でもご主人様が死んでも、泣いてはくれないだろう。
胸に飾る装備品のフラッシュバンとスモークグレネードが、だらしなく揺れている。
防弾チョッキが暑すぎる。軍服も長袖で、もう夏なのに。
装備が冬のまま、夏になってしまったようだ。
だから汗がしたたり落ちる。
下着の純白のパンツとスポーツブラが汗を吸って、茶色く汚れている。
臭いんだろうなとかアニタは考える。
私って乙女なんだろうか、とか。でも人殺しだよな、とか。
いまは生理中で、下腹部が痛くてたまらない。
左手でお腹をさする。上官に報告すべきかどうか、迷う。生理用品の替えは、まだあるから。
マガジンを抜いて残弾を確かめる。まだ大丈夫だ。
「世界を変えたんですか?母が?」
「どうやって」
「お前知らないのか?」
「アン・ユウりィは惑星チーズの先駆者なんだぜ」
「ネット業界で知らない人もいるが」
「彼女は反戦活動家だからな」
「民兵だった経験を、詩を通して語っているんだ」
「娘のお前が軍人になったのも宿命だと」
「書き込みに書いてあるぞ」
「へ?」
「私の名前が書いてあるの?」
「そうだな」
「あ、手紙便が来たぞ」
「お前のもあるみたいだ」
ドサドサドサ!
知らなかった。アン母さんが反戦活動家なんて。PCをいつもいじっていたけど。ゲームでもしてるんだろうくらいにしか気にしていなかった。
手袋が邪魔でよく手紙を読めない。
アン母さんからだ、このタイミングは一体・・・
飢えた子供のように、急いで手紙の封を開ける。
「アニタ、お元気ですか?」
「母さんはお前が戦場へ行くことに反対でしたが」
「これも定めなんだと、諦めました」
「でも、これだけは忘れないで」
「人を殺すたびに、魂は傷ついてゆくけれど」
「アニタの魂はどこまでも愛に守らているんだって」
「母さんがお腹を痛めて産んだ子だよ」
「お前が天使に守られている夢を何度も見るんだ」
「母さんに武運が味方したように」
「アニタにも武運がついている」
「生きて帰ってきておくれ」
「死人の亡霊の群れをすり抜けて・・・」
涙がこぼれてきた。左手の手袋で涙を拭きながら笑顔を作ろうとする。
紙の手書きの手紙が涙の雫でポツポツと染みてゆく。
「アン母さん」
両腕で手紙を抱きしめる。
遠くで銃声が聞こえる、砲弾の炸裂音も。
交戦規定が書いてある手帳の裏を見る。アリサおばさんが描いてくれた、アニタの似顔絵の縮小コピー。
懐かしい思い出・・・今はもう帰らない、安息の日々。
「5時の方向にチチビンタ戦車一個中隊!」
「援護の歩兵大隊がいち!」
ドン!!
敵戦車が榴弾を撃ってきた。近くの手前で炸裂する。地響きで地面が振動する。石まじりの大量の砂が飛散して頭にかかる。
「万式戦車中隊はまだか!」
「要請はしていますが」
「まだ来ていません!」
「航空支援きます!」
「各自に遮光しろ!」
キイイイン・・・
攻撃機の小隊の急降下爆撃だ。雲の切れ間から出てきた。一斉に爆弾を落としてゆく。
「ユウリィ二等兵!」
「首を引っ込めろ!頭がふっ飛ぶぞ!」
隣にいたグレン軍曹にs2ヘルメットごと頭を押さえつけられる。
ドムドムドムドム!!
ズズーーーン!
もの凄い地響きと光の炸裂。情け容赦がないな。
「敵兵力はいまだ健在!」
「残存勢力が進軍してきます!」
戦闘指揮官のゴッチ大尉が黒いオートマチック拳銃を腰のホルスターから取り出して、右手に掲げる。
「行くぞ!」
「殺せー!!」
ぶるっ!!
激しい憎しみはどこからくる?殺したいと言う敵意の憎悪は、どこから作られる?
アニタの身体が震えた。
あそこがしびれる。出血が止まらなくて、オリーブ色ズボンの股間が赤黒く染まってきた。
痛すぎて暑すぎて意識を失いそうだ。
一斉に塹壕の中から自軍のフルオート射撃が始まる。
バリバリバリ!!
ズドーン!
生き残った敵チチビンタ戦車が2両。ここからなら対戦車ライフルは届かないな。
もっと引き付けないと・・・
あれ?私、戦術を考えてる?
隣で銃撃しているグレン軍曹の自動小銃から、排莢(エジェクト)される金色の薬きょう(カートリッジ)が焦げ臭い臭いがする。
頭がくらくらしてきた。
「ユウリィ二等兵!」
「何をぼさっとしている!」
「戦力から外れるんじゃないぞ!」
「はい!」
「申し訳ありません!」
私も身を乗り出して銃撃を始める。
怖い、この恐いと言う感覚は、何回戦場を体験しても収まらない。
また涙が出てきた。瞳が充血して、鼻水が出てくる。
ああ、私は人殺しなんだ。
例え命令された義務であっても、人を殺したんだ。
この罪は一生かかっても、清算はできないんだろうな。
チ-ン!
キーーン!
銃弾の被弾が身体をかすめてゆく。
このスリル・・・
いや、恐怖のほうが勝っている。
なんで戦争なんかしてるんだろ、私。
高校生活を楽しむ、夢見る乙女じゃなかったっけ?
ズドーーン!!
ビリビリビリ!
アニタの至近距離で着弾炸裂した。
近くにいた歩兵数名の身体がない。肉片になっている。
キーンと耳鳴りがして目の前が真っ暗になり、しばらく視覚と聴覚が戻らない。
軍服に血液が降りかかる。飛散した砂や破片や粉が飛んできた。
「ひいっ!」
アニタは恐れおののく。
「ひるむんじゃない!」
「士気で負けたら死ぬだけだぞ!」
隣でグレン軍曹が鼓舞する。
アニタは銃撃を再開する。
40メルチ前方で岩場に歩兵が隠れている。
赤外線望遠スコープを覗く。
タタタン!
一人殺した。
まただ、熱い涙が流れる。なんで?
「アン母さん、ごめんなさい・・・」
自然と口をついて出た言葉。アニタは違和感を感じなかった。これは本能の言葉なんだと。
でも、人を殺すのは本能じゃない。悪意だ。
不本意という本位ならば、人は何を感じればいいの?
カシン!!
「!」
ジャムだ!!
!
敵兵の二名がこちらの塹壕にとりついた。敵一名は自動小銃で近接射撃をしてくる。もう一人がサバイバルナイフを抜いて構えて殺しに来る。
私が狙われている。早く殺さなければ殺される!
グレン軍曹は対戦車専用に持った対戦車ライフルで、チチビンタ戦車を相手している。
必死に右手を伸ばして手探りして、隣の戦死して肉片になった味方兵士のアサルトライフルに持ち替える。
タタン!!
ビシッ!
敵兵が撃った弾がアニタのs2ヘルメットを弾く。
だが顎ひもが脱帽を防ぐ。ヘルメットに括り付けてあるブルーゴーグルが破壊されてはじけ飛ぶ。
カチッ!!
敵歩兵は弾切れだ!!
カチ!
なんてこと!こっちも弾切れ!
ドス!!
もう一人の敵兵に腹を刺された!
「うっ!」
意識が消えてゆく・・・
ここは・・・
懐かしい感じがする。遠い昔のチョモル村の夏祭りの光景だ。
遠くで突撃花火が上がっている。近くの原っぱでモグラ花火が地面を回っている。
パンパン!
あ、私が屋台で買った肉もろたくをかじっている。
隣で手をつないでいるこの男の子は・・・
初恋のK君!
あ、なんだか胸がきゅんとした。
「アニタ、この手を離すんじゃないぞ」
「離したらもう、おうちに帰れなくなるからな」
「うん」
私の口の周りが肉もろのソースで汚れている。
懐かしいなあ・・・こんな幸せな思い出があったのか。
でも、この時は本気でK君の言った言葉を信じていた。
手を離したら、私は永遠に闇の中に置き去りにされるような気がした。
K君、アニタを離さないで・・・
帰り道の夜の闇の中を二人で歩く。村の家並みが明かりで照らされて、オレンジ色の光と影ができている。ニ人の影が伸びる。
K君と別れて、家に着く。家には明かりがついていて。アン母さんと、遊びに来ていたアリサおばさんが待っていた。父さんもいる。
このころはまだ父さんは元気だった。
平和な時代、こんな幸せがいつまでも続くと思っていたのに。
「はっ!!」
「目が覚めたか」
「ひどくうなされていたぞ」
簡易詰め指揮所のベッドに寝ている。
隣で立っているグレン軍曹が携帯食(レーション)を食べている。
私の上半身は下着のスポーツブラだ。下半身も、血で赤く染まった下着のパンツ・・・タオルがかけてある。
「戦況は!」
「大丈夫だ」
「敵勢力は駆逐した」
「援護の万式戦車中隊が来てくれたからな」
「腹を刺されているが、防弾チョッキが守ってくれたな」
「傷はない」
「生理が酷いようだから、軍医に診てもらえ」
「あああ」
まただ、涙があふれてきた。
「泣いているのか?」
「早く軍服を着ろ」
「新しい支給品がある」
「装備一式も」
「お前の501式はジャムってるから」
「修理に出した」
「しばらくは代用の503式で戦え」
指揮所の中で無線交信がやかましく聴こえる。
冷房の空調のモーター音もうるさい。
もう、生理痛は収まっているみたい。
司令官にも上層部の人たちにも、下着姿を見られているようだ。
私の顔が真っ赤になった。
充血した目で鼻をすすりながら言ったセリフ。
「軍曹殿」
「これはセクハラではないでしょうか」