科学の芽生えを客観的に考察した名著なのだが

その中巻だけを所有している


それを読むと
なぜ西洋で科学が芽生えたかが伺える
教会の抑圧
ルネッサンスと云う文明開化

凡そ
現代を生きる者は懐疑
いや
いつの時代も
少数の慧眼により
導かれし常識

確かに
儒教は古い体質を脱却するのに
廃儒の力に圧倒された

しかしながら
どんなに文明が浸透しようと
信仰までは制御できない


聖書
コーラン
旧約聖書
そして
論語

得てして
神の存在を云々するのが宗教と捉えるが
人倫の支え、若しくは模範として
或いは反面教師で在ったり

その人間模様もそれらを通して学ぶ
のであろう

恰も
科学と宗教は相容れぬ
かに見えるが
科学は宗教を必要としている?

平和な時代ほど
刹那的な生き方を求め
現実逃避をしてはいないだろうか?

所謂ガッコの教えは
解答が用意され
その解答に従わぬモノを排除し
画一的な人を育て
或いは認め

その後の人生に於いても
模範解答を
常識的な対応さえして居れば
誰かが助けて呉れるかの盲信

社会は弱者に優しくなった
かの
錯覚
若しくは
弱者を演じる怠惰


具体的な事例を出さないと言いたい事が見えないね

例えば
【イジメ】
はいけないと口を揃えて言い訳するが

多数決
ってそう云う理屈を包括していますよね?
黙認するにせよ
声を挙げた瞬間
自分も被害者に組み込まれる恐怖

つきまといますよね?

【イジメ】
公認者の中には
イジメられる方にも問題がある
的な
理由が在って【イジメ】が存在するかの錯覚

いや
誰もが加害者なり被害者となり
経験した筈の【イジメ】
なのに

その解決をガッコに丸投げしてませんか?
家の子に限って
被害者にも加害者にも
成らない理由なんて
無い筈なのに

監督責任をガッコの教師にのみ
預け

いや
集団教育が目的なら
何らかの【イジメ】を経験するのが
ガッコだとしたら

事無かれ主義の成れの果て

当然の帰結
子供を護るのは親でなくとも大人の努め

法律を守るのは当たり前
その法律には
遺棄しても事由が無ければ
通報の義務は無い
なんてね

行き倒れを見ても
助ける義務はない

ならば
【イジメ】を悪い
なんて
誰が謂えるのか?

子を殺める親のNEWSは後を断たず
享楽に耽る者を誰が咎めます?
刹那的な狂気を産む社会を誰が咎めます?


見て見ぬ降りを繰り返す
我々に
【イジメ】を非難する
資格すら与えられてませんよね?

科学や金銭だけで
未来の安泰は謀れません