あれって思うのよ。

旧友の心配をしている。

リタイアして元気にしているか、と。

施設に入った親戚の心配をしている。

食べ物に好き嫌いがあったけれど、今は施設の食事になれたか、と。

まだウオーキングをバンバンやっていた頃、

身重の女性に声をかけられ、

スマホの写真に一緒に収まったが、

生まれた子は健やかに成長しているかな、とか。

他人の心配種が次々に生まれるように、

意識の底の記憶から甦る。

知らぬが仏なのになあ、

ほっとけ、

なんてダジャレまで飛び出す始末。

大谷翔平投手は打撃一刀流でも目覚ましい活躍をするだろうが、

サービス精神を半分ぐらいにしたほうがいいのではないのか。

これって余計なお世話の心配だよね。

処理水の海洋への排出が始まったが、

すでに始まっている風評被害が、

この先どのように広がっていくのか。

・・・という心配は1市井人としては心配しようがない。

付近海域を漁場にしている漁師さんたちが悲しむことがないように、

と祈りながら成り行きを注視するだけになる。

そうか、とここで気がついたように思う。

自分もきっと今頃、

どこかの誰かさんから心配されているのかも知れない。

心配の傘を差し掛け差し掛けられる。

だから、人をやっていける。

そう思ったら気持ちがフワリと和んだ。

要介護4なのに、

神輿を担ぎたくなった。