あの日のことはよく覚えている。

暑い日で雲は浮かんでいなかったよ。

地平線の上空は知らんけど。

我が家は都区内に近い都下の 当時M町にあった。

10数戸あった鉄道官舎の1戸で、

どの官舎も板塀で囲まれていた。

我が家の西側は官舎内の通路を挟んで、

父の職場の通称分区があった。

上部組織の電力工事区の分区ということで、

現場に行かないときの父は、

いつもその分区で机上の仕事をしていた。

数秒で着く分区に出勤するときと、

退出するときは玄関から出入りしていたのに、

昼食で戻るときには板塀の木戸を開けて庭から入ってきた。

 

僕は正午前に廊下へ出て、

ぼんやり庭に目をやっていた。

いつもは空に戦闘機の爆音が轟いて、

敵味方の戦闘機が空中戦を演じることも多かった。

この日は朝から静かだった。

そのせいか、

庭にあるアオギリの幹で、

アブラゼミがやかましく鳴いていた。

2匹が鳴いていた。

反対側にまだ1,2匹いそうな喧噪さだった。

僕は廊下に日差しが当たる部分を避けてあぐらをかいていた。

日差しは広がらなくても、

日陰の部分に熱が伝わってくる。

それでジリジリと後じさり、

とうとうお尻は隣接する部屋の畳に預けることになった。

なぜ、そんなに廊下にこだわったのだろう。

それが今もって謎になっている。

柱時計が正午を告げだした。

数秒後には木戸がパタンと開くはずだったのに、

この日は開かなかった。

どのくらい時間が経ったのだろう。

パタンと木戸が開いた。

アブラゼミがいっせいに鳴きやみ、

次々に飛び立った。

父は少し紅潮した顔で廊下に近づくと、

奥へ、

「おい、戦争が終わったぞ!」

と、叫んだ。

すぐに母が廊下へ出てきて、

「ほんとうなの?」

と、訊いた。

「ああ、陛下がラジオで仰せだ」

その瞬間、母の両膝はヘナヘナと崩れた。

でも、すぐに居ずまいを正した母の表情には、

安堵感があふれていた。

その安堵感はぼくにもあった。

ただ、半ズボン姿の僕は、

また廊下が熱くなったのでジリジリ後退していた。