今は密集に近い都下の住宅都市になっているけれど、
僕が子供の頃は最寄り駅から5,6分も歩くと、
ごくなだらかな起伏に富んだ地形になった。
サツマイモ畑、麦畑、陸稲畑、ウド畑などが広がっていた。
小道は自然の起伏の通りに小さな上り下りがあった。
しかし、車が走る広めの道は、
隆起した部分が切り通しになっていた。
切り通しの土手の上は、
ススキが生い茂った。
舗装路ではないし道路灯などないところで、
曇天の夜は闇夜になった。
畑の向こうをJR中央線の電車が走ると、
キラキラとまばゆくて畑の作物の葉っぱまで照り映えた。
満月や、それに近い月が昇ったときは。
光景がうっすらボウッと浮び上がる。
あのね、月明かりってあったんだよ。
広めの道は、
小学校(分校)への通学路の大半を占めていた。
当時の我が家は旧国鉄官舎の1戸だったけれど、
夏休みの官舎の子供達の間では、
肝試しが流行った。
試す側が昼間、分校の校庭の鉄棒に何かをくくりつける。
それを取ってくる決まりだった。
僕を含めて2人が試される側として、
夜の9時頃、官舎を出発した。
闇夜だったので2人とも懐中電灯を持っていた。
妖怪が現れるポイントは2カ所だった。
1つは切り通しの土手がいちばん高くなったところで、
遠い山から下りてきた迷子のヤマンバが出る。
もう1つは分校に近いところにある肥だめだった。
子供が通ると、
ブクブクと音をさせてカッパが顔を出す。
口から肥だめを噴いて引っかけてくるという。
広めの道に入ってから、
僕らは会話をしなくなった。
1つめのポイントに近づいた。
切り通しの土手のいちばん高いところで、
ザワザワと音がした。
2人とも固まってしまった。
風のない夜だった。
僕は怖いもの見たさで懐中電灯を向けた。
青々としたススキの葉が泳ぐように揺れていた。
僕らは沈黙したままだった。
ススキの葉の揺れが収まった。
「上がってみようか?」
僕は1学年下の連れに訊いた。
「うん」
僕らは土手のてっぺんに上がった。
スイカが2つ置かれていた。
そのすぐそばから始まる陸稲畑の手前が、
5,60坪ほどのスイカ畑になっていた。
それに続いて広がる穂が出た陸稲を激しく揺らして、
南へ逃げていく2匹の動物が見えた。
野犬だと思った僕は、
「こら! こら! こら!」
と、叫んだ。
連れも真似して、こら、こら、と叫びだした。
途中で2匹の野犬は立ち上がって駆けだした。
人間のスイカ泥棒たちだった。