自分という人生の地図の上を歩いていてね、
ときどき、途方に暮れるのよ。
「俺、いまどこにいるんだろ。どこへ向かっているいるんだろ」
本当は自分という人生の地図なんてないんだよ。
自分の人生を生きているのは事実だけれど、
強く強く意識しているわけじゃない。
それを強く強く意識していれば、
人なんか浜の真砂の数以上に多くいるんだし、
変な奴らに好き勝手にさ、
自分の人生に乗っかってきたら穏やかではいられないぜ。
「こら、出ていけ!」
って一喝するだろうな。
でも、人の人生も自分の人生も境界線が曖昧なんだよ。
ここは俺んちの庭、
ブロック塀の向こうはお隣さんの庭、
って感じでは区別がつけられないだろ。
だから、
いろんな人が自分の人生、
いや、俺の人生って言ったほうが分かりやすいか。
変な奴らも含めて俺の人生に上がってくる。
変な奴らを具体的に言えば、
俺を騙しにきた奴とか、
俺を非常に不愉快な気分にさせる奴とか、
いろいろあるけれど、
そんな奴らだって、これが一期一会なんだよな、
と鷹揚に構えてきたのよ。
そんなことはどうでもいいのよ。
俺を騙しにきて怪しい話をする奴に、
残念ながらその手は食わないよ、
と俺の人生から下りていってもらった奴は、
今頃どうしているんだろうと気になることがある。
そいつにもそいつの人生がある。
俺の人生とそいつの人生は一瞬交差したわけで、
あとの人生はお互い知らないままなのよ。
人の人生は知らないままでいいんだろうな。
長年の友達だって、
その人生の1部しか知らないものな。
何百回と俺の人生と、
その友達の人生は交叉しているけれど、
それはお互いの人生のごくごく1部だってことよ。
何十年も連れ添ってきた妻の人生だって、
俺の人生とすべて重なっているわけじゃない。
お互いそれぞれの人生がちゃんとあるんだよな。
それが人生の妙味で、
人の窺い知れぬところってことか。
そうか、人生って凄いんだ。
改めてこれからの自分の人生を大切にしなきゃな。