学生時代の話だけれど、
Dという友人が4畳半のアパートに住んでいた。
その隣室のNは学生ではなかったが、
Dは気が合うと言って仲よくしていた。
Nはしょっちゅう職を変えていた。
このアパートには各部屋にトイレはなく、
2部屋に1つずつ共同トイレがあった。
2部屋の間に大小便両用のトイレがもうけられていた。
2部屋それぞれにトイレに出入りする引き戸があって、
部屋側からかけられるねじこみ式の鍵がついていた。
向こうが利用しているときはこっちの引き戸には鍵がかかっており、
こっちが利用するときは鍵を開け引き戸を引いてトイレに入る。
向こうの引き戸は閉められており鍵もかかっている。
僕はDのところへチョイチョイ泊まり込んだが、
1度、鍵を開けてトイレへ入りかけたらNが便器にまたがっていた。
あわてて部屋に戻り引き戸に鍵をかけた。
Nはトイレを通ってDのところへ遊びにきた。
Nの部屋は散らかし放題でとても行けない、
とDはため息交じりに言った。
1度、Dを訪れたらNがいた。
チョビ髭のように無精ヒゲを生やし貧相で、
見つめると視線を逸らす癖があった。
3人で数時間三角座で飲んで分かったが、
NにはDを羨んでいるふしがあった。
その後、Nには部屋代を払えないというので貸している、
と聞かされた。
飲食を共にするときは、
いつもDが支払っているという。
Dの実家は古くからの酒屋で裕福だった。
アルバイトをしていたが、
充分な仕送りを受けていた。
「Nの奴、女を連れ込んでさ。今はもう同棲しているんだ」
1ヶ月ぶりぐらいに会ったとき、
Dは目を光らせて言った。
「じゃ、きみの部屋にはこないな?」
「ああ」
Dはつまらなそうにうなずいた。
それからの成り行きが急転直下だった。
Nが同棲相手の19歳の女を部屋に置き去りにして、
姿をくらました。
「借金取りから逃げるためだったらしいな」
「きみも貸しているんだろ?」
「何回かだけど、合わせて2万円あまり」
現在の貨幣価値からしたら20万円を上まわる。
その次に会ったときには、
DはNが置き去りにしていった女の子と一緒に住んでいた。
「Nのお父さんがきて、大家に部屋を開けてくれ、と言われたので
行くところがないらしくて」
勝手にせい、だよもう。
DはNから恩を仇で返された、ということだろう。
でも、置き去りにした女の子と同棲できた、
ということがDには良いことならば帳消しになる。
(恩を仇で返す)も(恩が仇になる)も、
共に意味は同じである。
仮にその女の子との同棲がDに何かの厄をもたらすのであれば、
Nと違って彼女に直接の罪はない。
Dにとっては仇で返されたという意識はなく、
恩が仇になったか、
とぼやく程度だろう。
ちなみに、
Dとそのことの同棲は1年前後続いた。
※ 画像の写真は専修大学ジャーナリズム研究会撮影のものです。