初めて虹を見たのはいくつのときだったろう。
見たとはっきり認識できるのは、
小学2年の初夏のことだった。
それ以前の幼いときにも何度か見ていると思うが、
はっきりした記憶としては刻まれていない。
小学2年のときも初夏のことだったかどうか。
夏休みの前だったことは間違いない。
忘れ物をして学校に戻る途中のことで、
夕立風のにわか雨に襲われた。
両側が麦畑の畑道で、
150メートルほど先に旧国鉄官舎の1群が見える。
そのうちの1戸が我が家だった。
走って我が家に戻り、
カッパを着て長靴を履いて出直そうか。
一瞬、そう思ったけれど、
僕は180度体を回転させて、
ゆっくりと学校へ戻りだした。
土砂降りでどうせずぶ濡れになるのだから、
急ぐには及ばない。
畑道からトラックや、
進駐軍のジープ、装甲車も走る道に戻り、
車が前や、後ろからくると、
畑へ駆け込んだ。
舗装されていない砂利道で凸凹している。
大きな凹には泥水が溜まり、
そこを車の車輪が通過すると盛大にハネが上がる。
それを避けるためだった。
途中で雨が上がった。
というより、
雨が北西方向へ駆け去った印象だった。
道はなだらかな台地の耕作地を切り通し風に通っており、
その先、南寄りに学校の屋根の1部が見えた。
僕はかぶっていた濡れた学帽の布地の雨水を絞って股に挟んで、
着ていた薄いチョッキとシャツを脱いでズブ濡れのその雨水を絞った。
涼しい風が1陣2陣、僕の裸の上半身をなでていった。
風上の西を見ると、
切り通しの左右の崖をつなぐようにして虹が架かっていた。
虹の真下の学校の屋根は黒っぽく濡れていたが、
虹を薄く映えさせて穏やかに輝いていた。
僕は美しい光景に、
虹は魔法を使うのだと納得して独りうなずいた。
その美しい光景はさまざまな局面で甦り、
僕の活動に影響を与えてきた。
2,3例をあげれば頭髪のカラーリングにも表れた。
1990年前後、僕は髪を総青一色に染めた。
やがて、多色染めになり、
2000年代に入ってからは、
かなり長期にわたってレインボーカラーを続けた。
車いすユーザーの今はなるべくカラーリングが短時間ですむよう
3色ないし4色にしている。
お気づきの方も少しいらっしゃるはずだ。
都内をレインボーカラーに彩色されたタクシーが走っている。
都内のタクシー総数は約3万8000台で、
レインボータクシーはたった1台。
つまり、3万8000分の1だ。
そのため、たまたま乗ったらいいことがある、
と噂されるようになったという。
そのたった1台を走らせているところはコンドルタクシーだ。
見つけたら大手を振って止めて乗ってあげてください。
ちなみに、レインボータクシーをプロデュースしたのは僕です。