東北大震災の年の秋に、

モンゴルを訪れた。

外務省の外郭団体が主催したシンポジウムの発言者になったためだが、

モンゴルの小学校で読み聞かせを行う予定もあった。

モンゴルの小学校は9年制で、

1年生から9年生までいる。

日本語教育が盛んな小学校で行ったが、

学校側は4年生にやってほしいと提案し、

日本語の読み聞かせが4年生に通じるかと心配だった。

ところが、子どもたちは表情豊かに聞き入り、

嘆声をあげる子どももいた。

日本人の子どもと変わらないヒアリング力に驚愕した。

すべての予定が終わってカシミヤの店に案内された。

同行の世話役の人から、

「奥様にお土産を買わなければいけません」

と、言われてカシミヤのマフラーを選んで購入した。

紫色で長めのサイズ。色々な巻き方が楽しめそうだった。

帰国して妻に渡すと、

「私へのお土産に買え、と誰かに言われたんでしょ」

と、毒づきながらも大喜びした。

海外へ行った僕が土産物を買うのを面倒くさがることは、

妻が百も承知のことだった。

彼女はそのカシミヤのマフラーをとても大事に使ってくれた。

ある冬のこと、

事務所に出勤する僕が玄関の靴脱ぎ場へ下りたところ、

「そのマフラーはコートと合わないわ」

妻は言って引っ込み、

すぐにモンゴル土産の紫色のマフラーを手に戻ってきた。

そして、僕の首にふんわりと巻いてくれた。

僕はラッシュが過ぎての電車出勤だった。

席が空いて運よくその席へ掛けることができた。

すぐに読書を始めたが、

電車内は暖房が効いている。

カシミヤのマフラーでは暖かすぎるので、

首から外し畳んで膝に置いた。

途中でウツラウツラしたが、

下車駅の少し手前でハッと目覚めて膝を見るとマフラーがない。

床を見回したが、どこにも見当たらない。

「床のマフラーを拾い上げた人がS駅で降りましたよ」

近くの乗客が事情を察したらしく、

そう教えてくれた。

僕はすみませんと頭を下げて、

そのまま下車駅のY駅で降りた。

その日、帰宅してからが大変だった。

「拾い上げた人がどんな様子の人だったかも訊かなかったの? 

 子どもより始末悪いわ」

妻はS駅や、Y駅、終点の東京駅、

統括遺失物センターなどに電話をかけまくったが、

すべて無駄だった。

「悪い人が自分のものにするために盗んだのよ」

僕は醒めた意識で思いを巡らせていた。

あのカシミヤのマフラーにとって、

妻だけの持ちものになるのは幸せだったのか。

新しい持ち主の首に巻かれたかったのではないか。

幼児性に毒された偏った思いには違いない。

今でもふっと思うことがある。

冬になるとまだ、

その人の首を暖めているのだろうか。

それとも持ち主を転々としているのだろうか、と。