「ほう、これは凄い」
画廊経営者の古島は嘆声をあげて、
私の5点の折り紙作品を見た。
特殊なアート作品を好んであつかう画商としても知られている。
「これは身長5センチほどですが、よくこれだけ精密に折ることができますね」
古島が やはり折り紙の台ごと手で取り上げたのは、
ティラノサウルスだった。
「極細密の作品です。人間業とは思えません。
まるで生きているような・・・」
ティラノサウルスをもとに戻して次に角竜のトリケラトプスを取り上げた。
体長mは10センチ以上あった。
「これもよくこんなに細かく折り進められましたね。
3本の角の存在感がきわだっています」
古島そ~っとトリケラトプスをもとの場所に置いて、
静かにため息を吐いた。
「他の3点も言うところなしです。みな、傑作ですよ」
「ありがとうございます。励みになります」
私は軽く頭を下げた。
「折り紙の恐竜は小さなアート作品ですから、数が欲しいんですよ。50点はほしい。
来月いっぱいまでに可能ですか?」
「何とかなると思います」

こうして再来月の上旬から銀座の古島画廊で、
私の恐竜折り紙展が開催されることになった。
私はアーティストではない。
ビルのメンテナンスの会社に勤めている作業員に過ぎない。
でも、あるときから折り紙をやり始めた。
これはどういう風の吹き回しだったのか。
一念発起した覚えはないし、
折り紙に前々から興味があったわけでもない。
気がついたら折るようになっていた。
それもまだ3ヶ月余り前からのことだった。
この間、2千点の作品を折ったと思う。
はじめのうちはほとんど捨てていた。
しかし、着実に上達していって、
それでも厳選して5点だけを残した。
その5点の作品を見て驚いた友人が口をきいてくれて、
街のケーキ店に展示されることになった。
地元の新聞がそのことを記事にしてくれた。
たまたま、その記事を読んだ古島が見にきてくれた。
そして、本気で絶賛してくれたのだ。
1点3万円から5万円ですぐに売れると太鼓判をおしてくれたが、
波のある性格の私には作品を制作していくことが可能かどうかの不安もあった。
その不安を抑え、
出たとこ勝負でいくしかないと自分を駆りたてた。


私は折り紙作品の制作に没頭した。
私の手や指は、
勤務を1日も休まずにオフの時間にフル活動して折った。
たしかに没頭したと言えるだろう。
私の能力は向上していた。
できばえが気に入らなくてクズにするものは、
50点に1点あるかないかだった。
そうこうするうちに、
私の恐竜折り紙展はオープン日を迎えた。
私は引っ込み思案な性格もあって、
在廊は一切しないことに決めていた。
そのオープンの日の夕方に、
古島が勤めから帰宅したばかりの私を訪れた。
「あの5点はオープン後30分で売り切れました。
むろん、作品をお引き渡しするのは折り紙作品展が終わってからのことですが、
追加の作品をどんどん展示したいと思うんです。何点ぐらい制作できましたか?」
「こちらへどうぞ」
私は制作した作品を保管した部屋に古島を案内した。
3つのテーブルを合わせて、
その上に作品がアトランダムに置かれている。
古島は250点以上の作品を見渡して、
「全部で何点ですか?」
と、震えを帯びた声で訊いた。
「256点です」
「うん、充分です。いや、いっぺんに展示するとありがたみがなくなります。
時間をかけて展示しましょう。今回はまず50点で打ち止めにしようじゃないですか。
とりあえず今日は20点ほど預からせていただきます」
古島は提げてきた金属製のケースの蓋を手のひらでたたいた。

その20点も次の日には完売になった。
売り上げの3割は古島画廊に取られるが、
それでも私の手元には 120万円弱の金額が入った。メンテナンス作業員としての収入の数倍以上だった。
古島は年内に画廊であと4回の恐竜折り紙展を開催したい、
と言ってきた。
私はそのことを承諾した。
「どんどん折っていってくださいよ。でも、市場に出すのは抑えていきましょう。あまり多く市場に出すと良い価格で売れなくなりますからね」

私は時間が許す限り制作を続けたが、
両の手指の関節、両手首の関節、
両肘の関節がシクシクと痛んだので医者に診てもらった。
「使い過ぎですね。つまり、オーバーワークによって関節が炎症しているんです。両肩も少し炎症が起きていますよ。痛む関節は休養させるのがいちばんです。鎮痛剤で抑えても休養させなければ炎症は治まりません」
医師は厳しい表情で関節の休養を強調した。
その夜も、私は制作にいそしんだ。
ベッドの上部を約50度起こして、
上半身を横たえた。
上半身と下半身の境目あたりにベッド用のテーブルを渡し、
その上に折り紙用の紙束を乗せた。
それで恐竜を折る準備は整った。
私は両手をテーブルに乗せて目を閉じて何回か深呼吸を行った。

翌朝、目覚めると大小20点ほどの恐竜がテーブルに乗っかっていた。私はその20点ほどの作品を、
その保管所にしている部屋へ何回かに分けて運んでいった。
第2回の私の恐竜折り紙展が近づいてきたので、古島は従業員1人を連れて作品を取りにきた。
丹念に観察し、
50点を選んで持ち帰った。
そして開催になった第2回の私の恐竜折り紙展も好評で、
わずか3日目で完売になった。
そのことは嬉しいには違いなかったが、
私の気持ちは複雑だった。
両の手指、手首、肘の関節が我慢できないほど痛んで、
私は初めて勤務を休む羽目になった。
行きつけになったクリニックの医師は、
「休養を取りましょう。箸を使うのも歯を磨くのもゆっくりとやってください。今、
無理をすると一生後悔しますよ」
と、半分脅迫のようにアドバイスを行った。
私もいささか恐怖に襲われた。
自分がどのように手指を使って折り紙を折っているのか。
それをよく観察したくて、
スマホを使い自動でその動画を撮った。
その動画を見て、
私はびっくりして強い不安に包まれた。
(こんなに細かく手指が、そして手首が動いているのか。まるで精密機械のようじゃないか)

私は関節痛がひどい日には、
メンテナンスの会社を休むようになった。
万一のときは辞めればいいと思った。
古島はデパートでも私の恐竜折り紙展を開催するつもりで、
その準備にとりかかっている。
完成した作品はすべて買い取る、
という契約のほうも進展している。
関節痛さえなければ、
私には何の不安もないはずだった。
デパートでの展示は、
まず銀座のYデパートで開催することになった。そのための展示作品を、
古島と従業員が取りにきた。
120点ほど展示するという。
この日、私は朝から辛い関節痛と闘っていた。
「お疲れですか?」
「ここいらの関節がー」
私は手や手首や肘をそっとなでながら続けた。「ひどく痛みましてね。今日は1点も制作できませんでした」
「それはいけませんね」
古島は複雑な表情になった。
「こんなふうに折っているんですよ。ご覧になってください」
私は折り紙を折っている動画を見せた。
古島は食い入るように見て、
「これは人間業とは思えませんね。よくもこんなに精巧に手指や、手首が動くものですね」
と、声をかすらせて言った。
「医者にも言ってないんですが、古島さんには本当のことを言っておきましょう。折り紙を折っている手指や、手首、肘は言うまでもなく私のものですが、私はこのときは眠っていて折っていることには気づいていないんです」
「えっ、まさか…」
「折り紙を折るのに使う必要な部分だけが勝手に動いて折り紙を折っています。これって奇病なんでしょうね」
私は言葉を切って話題を変えた。
「保管してある折り紙作品を見てもらいましょうか」
私は古島だけをその部屋に案内した。
古島は3つ寄せたテーブルの上を見て、
「あ〜っ」
と、かすれた叫び声を漏らした。
折り紙作品のすべてがクシャクシャに丸められていたためだった。
「これも実は眠っている間のできごとです。つまり、私は夢遊病者のように、
この部屋に入って作品のすべてをぶち壊してしまったというわけです」
古島はひどく落胆したのか、
かがみ込んでしまった。
私は逆にほっとしていた。
これで恐怖と不安から逃れられる。
寝ぼけてのことではなくて、
あきらかに眠っている状態で全折り紙作品を台なしにしたのは、
私を守ろうとする私の本能ではなかったのか。
これで関節の痛みが癒されるのを期待して、
じっくり休養をとることができる。
私はとんでもない奇病から救われたのだ。