(やってらんないよ)
大きな屋敷の塀の外側でつぶやきが聞こえました。
(やってらんないよ。
西日がほんのちょっと当たるぐらいで、
あとは日陰にもかかわらず、
こうして花をつけたのに、
誰もかまってくれないだろ)
身長が10センチほどの小さな草でした。
1つ、可憐な花をつけています。
深みのある紫色で素朴な魅力を滲ませています。
その草のそばを、
足がたくさんある毛虫が走り抜けていきました。
(ほら、ムカデにさえ無視されているんだ)
しばらくしてミツバチが飛んできて
花の周りを飛びまわりましたが、
なんだといった感じで飛びさりました。
(もうハチにさえなめられて。どうしたらいいんだ)
可憐な花はうなだれました。
(やってらんないよ)
茎もクニャッとしたように見えました。


「あなた、カマッテチャンなの?」
話しかけたものがいました。
「誰?」
草は花をグルッと右に回し、それからグルッと左に回しました。
さらにまっすぐ上に向けました。
話しかけたものは見つかりませんでした。
「そこで咲いたんだから、素直にその自分を受け入れればいいでしょ。
どこで芽を出し成長して花を咲かせるのかは、
あなたの自由にならないのだからわがままを言わないことだわ」
「やだよ。こんな日陰で、誰も気にしてくれないじゃないか。
ちゃんと日の目を見て、いろいろ注目されて
いい気持ちになりたいんだよ」
「ものにはそれぞれの分というものがあるのよ。運命といってもいいかしら」
「偉そうなことを言っているけど、一体きみは誰なんだ?」
買いもの帰りらしい主婦が乗った自転車が通り過ぎました。
昨夜、降った雨の小さな水たまりがあって、
ハネが飛んで草の花や、葉っぱが泥水で汚れました。
「ほら、こんな目にも遭うんだ。僕は何も悪いことをしていないのに」
「勝手にぼやいていなさい」
その言葉を最後に声の主は沈黙しました。
草は、その夜、一睡もできませんでした。
次の日は昨日以上にいい天気になりました。
草が寝不足でうつらうつらと花を揺らしていると、
小さなチョウが飛んできました。
それはシジミチョウでした。
「あら、こんなところで健気に咲いて、本当に感心ね」
シジミチョウは飛びながらひとしきり草を観察してから花に止まりました。
しかし、すぐにまた舞って草全体をしっかり観察しました。
(やっぱりそうだわ。この草のことを先祖からの言い伝えだ
と言ってお母さんから聞いたことがある。
お母さんが言った通りの特徴を備えているわね。
ムラサキコノエツボネソウに間違いないと思う)
草はシジミチョウが心でつぶやいたことの内容を、
むろん、知る由もありませんでした。
その後、シジミチョウは花に止まり、
ゆっくりとその貴重な蜜を吸いました。
「あなたはとても貴重な草なのよ。でも、
ここでこうして自由に咲いているほうが
あなたにとってはいちばん幸せだと思うわ)
シジミチョウはそう言い残すと、
名残りおしそうに花の上で1周舞ってから塀の内側へ姿を消しました。
(何がとても貴重な草だよ。こんなところでくすぶって枯れたくないんだよ)
それから何時間かして年若い男性が草を見て、
そばに寄ってしゃがみこみました。
じっくり観察し独り言をもらしました。
「絶滅したとされているムラサキコノエツボネソウじゃないか」
年若い男性は大学院で日本の野草を研究していました。
スマホでいろんな角度から草をとって立ち上がりました。
「本当にそうだったらすごい騒ぎになる。とりあえず、教授に報告だ」
年若い男性は急ぎ足で裏道から姿を消しました。

それから2時間も経って大変な騒ぎになりました。
裏通りは約50メートルにわたって交通が遮断され、
歩行も制限されました。
草を楕円形に取り囲むようにしてロープが張られて、
メディアの人たちがその外側に大勢おしかけました。
テレビカメラがたえず回され、
新聞社のカメラの砲列がシャッター音を轟かせました。
男性アナウンサーや、
女性リポーターが興奮した口調で現場中継を行いました。
草はくたくたに疲れました。
僕の自由にしてくれよと叫びましたが、
その叫びは人間には理解できませんでした。
本物のムラサキコノエツボネソウと鑑定されれば、
どこかの研究所へ移植されて保護されます、
とリポーターの1人がマイクに向かって甲高い声をあげました。
「えっ、保護だって。ここから僕をどっかに持っていくのかよ。
やめてくれよ。すぐに枯れちゃうよ。ほっといてくれないか。
ここで咲くのは僕の勝手じゃないか」
草は必死に訴えました。
聞いてくれるものは誰もいませんでした。
数人の白衣の男たちがやってきて、
草を半円形に囲みました。
カメラに撮り、ピンセットで葉っぱをはさみ裏返しました。
綿棒のようなものを使って花びらを細かく確認しました。
拡大鏡らしい機器も使って代わる代わる観察しました。
草は気が気でありませんでした。
ストレスが限界に達し、精神がおかしくなりそうでした。
「よく似ているが、ムラサキコノエツボネソウではないな。みんなどう思う?」
年配の白衣の男が他の白衣の男たちの顔を見比べながら訊きました。
他の白衣の男たちはみんな黙って大きくうなずきました。
 
30分後、裏道はいつものようにひっそりしていました。
草はホッとしていました。
(よかった。1時はどうなるかと思ったよ。ムラサキコノエツボネソウでなくてよかった。
日陰で咲いているかもしれないが、ここには自由がある。
ここにじっとしていればいろんなものを観察できる)
草はつぶやくのをやめて、
花をあちこちに向けながら、
あの正体不明の声の主は一体なにものだったんだろう、
と思いました。
でも、見当もつきません。
(ご先祖様の声だと思えばいいんだ)
草は花を心地よさそうに揺らして素直に納得しました。