冠斗は お祖母ちゃんが心配だった。

昨年の夏、

お祖父ちゃんを亡くしている。

75歳だったから、

あと10年ぐらいは生きてもよかったのに。

そのとき、

冠斗は残念だったけれど、

今は好きに人生を楽しんだんだから、

お祖父ちゃん、

幸せだったな、

と思うようになった。

でも、

それまでは超元気だったお祖母ちゃんが、

少しずつ元気をなくしていった。

「気のせいよ。お祖母ちゃんは山登りでも、

 アイススケートでもいつもお祖父ちゃんと   

 一緒だったから、お祖父ちゃんに先立たれて

 寂しく見えるだけなのよ」

お母さんは冠斗の心配を意に介さなかった。

「春休みになったら、

 お祖母ちゃんのところへ行っておいでよ。

 長野新幹線の終点から15分も歩けば着くよ。

 近くに夏場以外は滑れる施設もあるはずだ。

 スイスイ滑るぞ、お祖母ちゃん」

お父さんも多少無責任なことを言って、

冠斗の心配を気にかける気配もなかった。

(違う、お祖母ちゃんは落ち込んでいる)

冠斗は心で首を強く振った。


今年の正月、

お祖母ちゃんは、

2日続けて泊まって帰っていった。

昨年の11月にきて泊まっていったときよりも、

明らかに元気がなかった。

3月の頭にも泊まっていったが、

正月よりも更に元気をなくしていた。

お父さんもお母さんも、

よくおしゃべりして笑い、

食欲も旺盛なお祖母ちゃんを見て、

どこが元気ないんだと言わんばかりだった。

でも、冠斗には解る。

お祖母ちゃんは悟られないようにしているが、

その心には会う度に深まる鬱屈がある、と。


気にしているうちに、

今日の中学の卒業式を迎えることになった。

お祖母ちゃんは卒業式にくる予定だった。

生徒数が減ってきたので、

相対的に広い体育館になった。

全校の生徒数は200人あまり。

コロナ禍でスカスカに椅子を並べている。

学校側は保護者にはなるべく遠慮してほしいらしいが、

マスク着用なら後方に少し設けた

保護者席に着席していいことになっている。

お父さんもお母さんも遠慮してこない。


式次第が進んで、

卒業生が卒業の歌を歌うときがきた。

冠斗は合唱部員なので、

12、3人の仲間と共にステージに立った。

全員グレーのマスクをしている。

白い大きなマスクをしたお祖母ちゃんが、

勢いよく手を挙げて強く振った。

冠斗はその途端、うつむいた。


このあとのことは、

お祖母ちゃんを主役にしよう。

ピアノの前奏が始まった。

ステージの上の合唱部の卒業生も、

生徒席にいる卒業生も歌いだした。

マスク越しにしては、

声がよく通っている。

「あら」

お祖母ちゃんは、

意外そうにつぶやいた。

「仰げば尊し」ではなかったからだ。

お祖母ちゃんは小、中、高校のすべての卒業式で、

「仰げば尊し」を歌わされてきた。

ただ、高校2年のとき、

卒業式に歌った卒業生を送る歌は、

学校側も了解してくれて自分たちが歌いたいものを

歌うことができた。

ところで、今、

冠斗たちが歌っている歌はなんだろう。

心に切ないさざ波が立つのに、

何だかどんどん幸せになるような気がしてくる。

歌詞も素敵。

お祖母ちゃんは1つ席を置いているお母さんらしい保護者に、

「あの歌はどういう歌ですか?」

と訊いた。

「レミオロメンの楽曲です」

「聞いたことがないのですが、タイトルは?」

「【3月9日】です」

「3月9日、もう過ぎたけど、私の誕生日だわ、ワ~ッ!」

お祖母ちゃんは思わず叫びました。

ステージの上から、

冠斗がこっちを見ていた。

その目は笑っているようだった。

在校生の歌が始まった。

聞いたことがあるようなないような楽曲だった。

お祖母ちゃんは目をつむり、

高校2年のときに、

卒業生へのはなむけとして歌った歌を口ずさんでいた。

森山良子の「今日の日はさようなら」だった。

あのときの卒業生の1人とのちに縁あって結ばれた。

昨年の夏に亡くなった夫だった。

結婚し翌年の3月9日からは風雨の日は除いて、

欠かさずに山へ登った。

いつも中級者用の山だった。

山小屋での誕生会は忘れられない。

亡き夫も3月生まれで、

夫婦合同の誕生会だった。

たまたま居合わせた人たちも祝ってくれた。

今年の3月9日がくるのはとても辛かったが、

ついにきてしまった。

ひっそりしたわが家で、

1人で亡き夫との思い出を振り返りながら、

赤ワインで乾杯したが、

癒やされないものが残った。

それなのに、

思いがけず孫たちの「3月9日」の合唱で

一気に癒やされたのだ。


お祖母ちゃんは「今日の日はさようなら」を口ずさみ終えると、

両手を突き上げて、

「おめでと~お~!」

と、叫んだ。