母から言われて、

すぐ近くのマンションで独り住まいをしている

祖父を訪れた。

79歳になるが、

いたって元気で全国の城や、

城址を独りで巡っている。

祖父はダイニングのテーブルに、

1枚の写真を置いた。

「写真類の断捨離にも取りかかったんだがね、

 パソコンのフォルダに保存したものや、

 クラウド保存のものもあるけれど、

 まずはこういうものからと思ってね」

僕は椅子にかけてから、

その写真を取り上げた。

11年前に亡くなった祖母は、

写真を几帳面にアルバムに貼り、

大事にしていた。

まだ小学生のときの記憶だけれど、

3,40冊のアルバムが書棚に並んでいた。

祖母の死後、

祖父は選びはがした50枚前後の写真を除いて、

あとはアルバムごとすべて処分してしまった。

そういう祖父の思いきりのよさが、

僕は好きだ。


その写真には祖父と、

いくつか年下と思える女性が写っていた。

祖父は右手を女性の右肩に回し、

女性は右手を祖父の左手に添えている。

2人共、

うれしそうに微笑んでいた。

背景に石垣が見える。

上半身の写真だが、

立ち姿で撮ったものだろう。

右下に撮影日が表示されている。

200☓年8月13日だった。

僕はその年の6月5日に生れている。

「20年前の写真か。それで、

 この写真がどうかしたの?」

僕は祖父を見た。

「覚えがない写真なんだよ。アルバムを

 処分するときに、取っておいた写真の

 1枚のはずなんだが・・・」

「覚えがないって、この女の人はどこの誰なの?」

「それがまったく覚えがない。知らない人なんだよ」

祖父は途方に暮れたように、

小首を傾げた。

「それで、僕になにか・・・」

祖父は80歳近くになっても、

記憶力は大変確かだった。


家へ戻ると、

夕食の用意ができていた。

父は帰宅が遅くなる。

母と僕、それに女子高3年の妹とで

3人の夕食が始まった。

「お祖父ちゃんのお話はなんだったの?」

母が僕の顔を見た。

「新潟のN城の写真を撮ってきて、と

 いうんだよ。母校の同窓会誌に原稿を頼まれて、

 それに使うんだってさ」

「ふうん」

母はあまり興味なさそうに鼻を鳴らした。

「夏休みだし、お祖父ちゃんからはたっぷり

 旅費をもらったし、2,3日中に行ってこようと思う」


お祖父ちゃんから預かった写真の背景の石垣は、

N城のものだという。

「亡くなったバアサンと行ったことはあるよ」

手がかりは、

それだけだった。

でも、N市へ行けば、きっと、

謎の女性の身許を知る有力な手がかりを得られる、

という確信があった。

テレビの刑事ドラマの刑事になったつもりで、

僕は張り切っていた。

それで、

N市に行く前に1つ、手を打った。

ツーショットのご相手の女性だけを画像にして、

ツイッターの僕の別垢にアップしたのである。

(このお方をご存じでしたらお知らせください。

 拡散を望みます)

というつぶやきを添えて。

LINEに因を発した

同級の子たちのトラブルに巻き込まれた妹は、

LINEをやめてツイッターのユーザーだった。

お互いにフォローはしていないが、

僕の本垢には気づいている。

それで、別垢を使った。

母はLINEをごく普通に使っているが、

ツイッターはやったことがない。

祖父はラインブログとFBのユーザーだが、

エッセイや、

小論文の発表舞台に使っているだけだった。


僕の別垢のフォロワーは50人弱だが、

その割にはリツイートの反応がよく、

かなり拡散されているようだった。

翌日の朝までに、

11件のリプがあった。

10件はどうでもいい内容だった。

1件は、

(あなたをフォローしました。ご事情を

 お教えください)

というものだった。

マジだとぴんときて、

僕はフォローを返しダイレクトにやりとりした。


祖父のツーショットのお相手は、

河鍋絹子という人だった。

事情を問うてきたのは、

河鍋絹子の姪に当たる人で、

事情を打ち明けると安心したようで、

会って詳細を話したい、

ということだった。


その日の内に、

僕は上越新幹線でN市へ向かった。


河鍋絹子の姪の野見山千鶴は、

彼女が指定したN城近くの民芸風カフェで待っていた。

「野見山千鶴さんですね。片桐雄斗です。

 お会いいただいて有り難うございます」

「礼儀正しい学生さんですね」

野見山千鶴は、

ホホホ、

と笑って椅子にかけるよう手で促した。

母と同じぐらいの年頃に見える。

「ここはコーヒーが美味いですよ。

 コーヒーでいいですか?」

僕がうなずくと、

店の人を呼んでコーヒーを2つオーダーした。

コーヒーが運ばれるまでの間、

野見山千鶴は、

世間話風に自分の身の上に触れた。

2人の娘がいる主婦で、

夫はN市のアーケード街でパン屋を営んでいる。

自分はN市で明治中期からパン屋の家に生まれ、

夫は入婿だという。

「では、写真を見せていただけます?」

僕がコーヒーを2口3口飲んだところで、

野見山千鶴はやや上目遣いに僕を見て微笑んだ・

「これです」

僕が渡した写真に、

10秒前後も目を凝らして見入ってから、

野見山千鶴は意外なことを言った。

「お祖父様のお隣は、たしかに

 私の叔母の河鍋絹子です。でも、

 河鍋絹子ではありません」

「えっ、どういうことですか?」

「たしかに叔母なのですが、叔母は

 目の光がもっと穏やかでした。この方は、

 目の輝きが鋭いですよね」

野見山千鶴は、

写真をテーブルに置いた。

「それに、叔母はこの撮影日には、

 この世にはおりませんでした。

 この1年前の秋口に他界しました」

野見山千鶴の言葉に、

僕はつかの間、ぽかんと口を開けた。


叔母が私にだけ打ち明けた話と前置きして、

野見山千鶴が僕に話した内容は、

僕の胸に鮮烈な印象を刻んだ。

祖父は20代後半の頃、1年ほど、

N市にあった私立女子短大で

時間講師をしていた。

母校の大学の人文研究室の研究者が本業で、

すでに結婚していて父も生れていたが、

週に1回、急行列車で通勤していた。

河鍋絹子は祖父のゼミの教え子ではなかったが、

その女子短大の学生だった。

祖父を見かけて一目惚れして、

ただ見るだけの片思いだったという。

祖父はそのことに気づくどころか、

河鍋絹子の顔さえ認識していなかった。

やがて、

祖父は契約を終えてN市にはこなくなった。

河鍋絹子はなおしばらく片思いを募らせていた。

しかし、

自分の心で燃えている片思いの火を、

無理にも消したかったに違いない。

見合いで結婚し子も生まれた。

「でもね、叔母は結婚前、あなたの

 お祖母様にすべてを打ち明けたようよ。つまり、

 そのときにはお祖母様とは連絡が取れていたってこと。

 叔母は30代で離婚したわ。お祖父様のおもかげが

 心から消えることがなかっったのでしょうね。

 娘も結婚して孫もできて陶芸に打ち込む

 ようになったの。その頃、陶芸の個展をやって、

 お祖母様にもきていただいたようよ。これ・・・」

野見山千鶴は、

バッグから1枚の写真を取り出して僕に見せた。

「亡くなる3年近く前のものだけど」

祖母と河鍋絹子が並んで写っていた。

背景は陳列棚に展示された陶芸作品だった。

「叔母とお祖母様は、顔の感じと

 背格好がよく似ているでしょう?」

[似てますね」

僕はうなずいた。

「目を比べてみて」

僕は祖母と河鍋絹子の目を見比べた。

「たしかに、祖母の目は輝きが強いですね。

 祖母は父が生まれるまでカメラマンを

 やっていたので、そのせいもあるかもしれません」

「あなたのお祖父様の隣りにいる人は、

 お祖母様ですよ」

「どういうことですか?」

僕は首をひねりながら、

写真をリュックにしまった。

野見山千鶴も、

僕に見せた写真をバッグにしまった。

「合成写真じゃないことは、よく見れば

 一目瞭然です。でも、写真家だったのなら

 修正のテクニックはおありだったかも」

野見山千鶴の言葉に、

僕はあっと声を出さずに思った。

祖母は庭で花の栽培をして、

咲くとカメラに収めていた。

できあがった写真を小筆を使い、

よく修正していた。


野見山千鶴は、

夕食をご馳走したいと言ったので、

快くご馳走になることにした。

「N市は内陸の街なので、山菜と川魚が

 主体になりますけど」

戊辰戦争では激戦地の1つになった

N城の堀端を少し歩いて、

昭和の日本家屋がレトロな

雰囲気を放っている住宅街に入った。

家々の半ば近くが送り火を焚いていた。

「旧盆の明けですね」

野見山千鶴はふと足を止めて、

僕の顔を振り返って微笑んだ。


翌日、

11時過ぎにホテルをチェックアウトすると、

僕は歩いてN駅へ向かった。

新幹線は空いていた。

駅で買ったサンドイッチとコーヒーで、

流れる景色を見ながら昼食をとった。

祖父と祖母は写真を撮った日に、

N城を訪れている。

タイマーを使って、

ツーショットの写真を撮ったのだろう。

その日からそんなに遠くない日に、

祖母は修正のテクニックを駆使して、

自分を河鍋絹子に変貌させたに違いない。

河鍋絹子の思いを自分の胸に抱いて、

その純情にほだされたのかもしれない。

僕は祖父に写真を返す前に、

もう1度、しっかり見ておこうとして、

リュックを開けた。

修正の痕跡を見つけてみたかった。

取り出した写真を見て、

僕は我が目を疑った。

祖父と写っていたのは、

祖母に紛れもなかったからだった。

(これはどういうことなのか?)

僕の頭は混乱した。

僕の視線は撮影日の表示に釘付けになった。

200X・08・13は旧盆の入り、

昨日8月16日は旧盆の明け。

数日前の入りの日に、

河鍋絹子は写真の祖母の許を訪れ、

昨日の夕方に多く目撃した送り火の頃、

また永遠の世界へ還っていったのだろうか。

祖父に知られないように、

という河鍋絹子の謙虚な心遣いが、

僕の心を心地よくなでていった。


帰宅する前に、

祖父の住まいに立ち寄った。

「どうだった?」

「よく見て」

僕は写真を祖父に返した。

「ありゃ、これはバアサンじゃないか」

「お祖母ちゃんのいたずらだよ。修正されていたんだ。

 お祖母ちゃんが仲よくしていた人じゃないかなあ」

「そういうことか」

「写真部の先輩が修正された部分を

 丁寧に復元してくれたんだよ」

「そのままでもよかったぞ。バアサンより

 ベッピンだったからな」

祖父は上機嫌で高笑いした。